「ただのオヤジになります」。リオデジャネイロ・パラリンピック柔道男子60キロ級(視覚障害)銀メダルの広瀬誠(40=愛知県名古屋盲学校教)が10月上旬、こうつぶやいた。

 東京・明治記念会の男子トイレ前。決意は固く、リオ大会で日本選手団メダル1号となった広瀬は、あっさりと現役引退を宣言した。「金メダル以上に大切な家族と一緒にいたい」。理由はそれだけだった。リオ大会は、柔道人生25年間の集大成として臨んだ最後の戦いだった。

 3カ月前-。バーハ地区のカリオカアリーナ2。観客席からは、妻里美さん(35)と長女優宇(6)次女巴恵ちゃん(3)三女若奈ちゃん(2)の大声援が響いた。「お父さーん、頑張れー」。何度も繰り返される家族の応援に、広瀬はほほ笑んだ。決勝戦の相手は、世界ランキング1位のシェルゾド・ナモゾフ(ウズベキスタン)。開始10秒で技ありを奪われ、最後は内股を返されて、合わせ技一本で負けを喫した。「出せるものは全て出しました。これが今の実力です」。試合後、すがすがしい表情で振り返った。言葉からも完全燃焼したように見えたが、その時は「引退」について明言はしなかった。表彰式では、ジャージーのポケットから1枚の写真を取り出して、胸に当てた。出国前に3人の愛娘に柔道着を着せて撮影した“お守り”だった。試合前、「金メダルを絶対に持ち帰るんだ!!」と言い聞かせて臨んでいた。


敗れて銀メダルの広瀬誠(右)は無念な表情を見せる=9月8日
敗れて銀メダルの広瀬誠(右)は無念な表情を見せる=9月8日

●高2年の時にレーベル病発症


 実は、広瀬には金メダル獲得と同じぐらいの夢があった。娘たちにパラリンピックの大舞台で柔道をしている「強いお父さん」を見せたい-。

 「これまで家族に迷惑ばっかりかけてきた人生でした。代表合宿やトレーニング、減量などで子どもたちとも遊べず、父親らしいことが一切できなかった。せめて、自分が人生をささげてきた柔道を目の前で見てほしかった。娘たちが僕の障害について必ず考える時がくる。目が見えなくてもやりがいを持って生きているということがきっと分かるはず。次女、三女はまだ小さいため、記憶に残っているか分かりませんが、大人になって柔道を見たら『お父さんもやってたな』ぐらいでも思い出してくれればうれしいです。最後は金メダルを持った、かっこいいお父さんを見せたかったけど、これが自分なんでしょうね。悔いはありません」

 高1で柔道を始めた。高2年の時に視覚神経が萎縮するレーベル病を発症し、視力が急激に低下した。不安を拭ってくれたのが、大好きな柔道だった。銀メダルを獲得した04年アテネ大会から4大会連続でパラリンピックに出場。階級を66キロ級に上げた12年ロンドン大会でメダルを逃し、一度は「引退」を決めたが、現役を続行した。「リオが最後のチャンス」。今まで以上に家族にも迷惑をかけ、自身を追い込んだ。


現役引退したはずなのに、66㌔級で3位になった広瀬誠=11月27日
現役引退したはずなのに、66㌔級で3位になった広瀬誠=11月27日

 リオ大会後、広瀬は家族サービスしているのかと思いきや、驚愕(きょうがく)の出来事があった。11月下旬、東京・講道館で行われた「全日本視覚障害者柔道大会」の男子66キロ級のプログラムに広瀬誠の名前があった。なぜ? 広瀬に引退を撤回したのか問うと「久々に柔道仲間に会いにきました(笑い)。やっぱり柔道はいいですね」と笑いながら説明し、「現役復帰はないです。詐欺で捕まっちゃいます」と返した。

 大会関係者によると、同大会は現役を引退しても参加費3000円を支払えば参加できるという。広瀬はこの日、約3カ月ぶりに再会した日本代表らの柔道仲間と交流を楽しんだ。引退後は毎日していた稽古も週4日に減り、体重は63キロに増えた。しかし、現役時代の切れ味ある柔道は健在で、3位に入った。「うーん。これで優勝できれば面白かったのに、さすがにそれは無理でしたね」。

 現在は、メダリストとして20年東京五輪・パラリンピック関連のイベントや講演会などで引っ張りだこだ。次の夢でもある、世話になった「柔道界への恩返し」のために日々、全国を駆け回っている。「東京大会だけでなく、その先の大会も見据えて柔道界を盛り上げたい。視覚障害者柔道を通じて、障害者への理解を深めて、若手選手の発掘やサポート体制の強化なども積極的に行っていければと考えています。英語も勉強したいです」。


●娘の金メダルに「僕以上の価値」


 ただ、現役引退を宣言した時、「子どもと遊ぶ時間を作りたい」と言っておきながら、子どもとの時間は仕事などであまり増えていないと言う。「若干、嫁が不機嫌になっています…」と苦笑いしたが、その表情からは、充実した日々を送っていることが分かった。

 印象的な言葉があった。全日本視覚障害者柔道大会の昼休みに、畳の横のベンチでうれしそうにこう言った。「先日、娘が運動会で金メダルをもらって、帰宅したら自慢げに見せてきたんですよ。『金メダルだよ!! お父さんに勝ったね。いいでしょう』って。手作りの金メダルでしたが、僕の銀メダル以上に価値があると思いました」。たった3カ月で何事にもストイックだった広瀬が、すっかりお父さんの顔になっていた。25年間の現役人生。本当にお疲れさまでした。【峯岸佑樹】

 ◆峯岸佑樹(みねぎし・ゆうき)埼玉県出身の34歳。10年に入社し、文化社会部、営業開発部などを経て、現在はパラリンピックと柔道などを担当。サウナ好き。