安倍内閣風に言えば「地方創生」。そんな言葉がサッカー界にも重なる1年だった。

 元日本代表監督の岡田武史氏がオーナーを務める四国リーグのFC今治(愛媛)が、来季のJFL昇格を決めた。ほかに目を向ければ、元日本代表FW高原直泰が沖縄SVを立ち上げ、監督兼選手として全国社会人選手権に出場。日本サッカー界の中央にいた人物たちが、こぞって地方からサッカー熱を高めている。


練習場に立つボンズ市原のゼムノビッチ監督(中央)と佐久間会長(右)と木村GM
練習場に立つボンズ市原のゼムノビッチ監督(中央)と佐久間会長(右)と木村GM

 そんな中、同じ地域リーグにどうしても気になるクラブがあった。関東1部に所属するボンズ市原。千葉県市原市にある「市民クラブ」だ。8月の天皇杯に千葉県代表として初出場し、1回戦で格上、J2の東京Vを相手に敗れはしたが、1-2と大善戦した。ただ10月下旬の全国社会人選手権は2回戦で敗れ、来季のJFL昇格は逃している。

 監督は、旧ユーゴスラビア出身で元清水監督のゼムノビッチ・ズドラブコ氏(62)。清水では天皇杯準優勝、ゼロックススーパー杯優勝も経験している。財政面で厳しいであろう地域クラブに、なぜ第一線で指揮したプロ監督が? しかも市原市はJ2千葉のホームタウンでもある。どういう経緯で立ち上がったのか? 何を目指しているのか? そもそもボンズって何? いろんな「なぜ」が高まり、思い立ってクラブに出向いた。そこには、とことん市原にこだわった地域ならではの姿があった。


●市民によって作られた練習施設


 チームは市民が株主となって運営している市民クラブ。その株主も市原市在住者か在勤者、同市内の企業に限定というこだわりようだ。何より驚いたのは、地域リーグにもかかわらず、その立派な施設だった。敷地の門を入ると、広い駐車場に今年1月に完成したという2階建てのクラブハウス。その向こうには、緑の天然芝ピッチが広がった。昨年3月、市原市民、企業の出資によって完成した専用グラウンド「VONDSグリーンパーク」だ。グラウンドに設置している木製ベンチは市民からの寄付で、その芝生も市民の手によって植えられたものだという。敷地内には天然芝とは別に、人工芝ピッチも1面あった。環境面なら既にJ2レベルだろう。

 昨年6月まで市原市長を3期12年務め、退任後からクラブの会長を務めている佐久間隆義氏(70)は現状について、こう話した。「市民、企業のみなさんに株主になっていただいて、支えてもらっています。おかげさまで株主もだいぶ増えてきました。ただJFLに手が届きそうで届かない。それでもゼムノビッチさんに監督に入ってもらって選手もだいぶ伸びています。選手、監督、コーチ、私どもも含め、このまま伸びていけば頂点を目指せるのではと思っています」。


年内最後の練習を行うボンズ市原のメンバー
年内最後の練習を行うボンズ市原のメンバー

 もともと市原市には、市原臨海競技場(現ゼットエーオリプリスタジアム)をホームにする「ジェフ市原」があった。だが2005年に千葉市内にフクダ電子アリーナが完成したことで06年以降、リーグ戦で市原臨海は使われなくなった。「ホームタウン」としての市原は残ったが、「おらが町」のクラブという感覚は薄らいだ。ならば地元のシンボルとなるチームをつくりたい。そんな思いから11年、市原市サッカー協会を中心に新たに誕生したのがボンズ市原だった。

 佐久間会長が続ける。「ボンズ市原が人と人とのつながり、愛を大切にするような、というネーミングです。ボンド(絆)ですから。ただ『B』でなく『V』なのはビクトリーのVなのです。やっぱり勝たないといけないのでBをVに変えました。そういう思いを持って私たちは一生懸命やっています。それが全市民に伝わればと願っています」。

 アマチュアリーグに所属するチームは、数名のプロ契約選手を有するが多くの選手は早朝練習後、市原市内の企業に勤めている。公式戦は原則、無料試合となる。だが今季、リーグに申請してホームのゼットエーオリプリスタジアムでの1試合で試験的に有料試合を行った。その観衆は1020人。市原市民のシンボルとなる日は、どうやらもう少し先のようだ。


●どこでもサッカーはサッカー


 そんな市民クラブを率いるのが、ゼムノビッチ監督だ。清水の監督を退任後、一度はセルビアに戻ってプロクラブを指導したが、10年ほど前から再び日本暮らし。千葉県サッカー協会のテクニカルアドバイザーを務めていた縁で、今季から監督を務めている。

 なぜ地域リーグの監督を引き受けたのか? そんな質問に、柔和な表情と丁寧な日本語で「サッカーはサッカー。スポーツには勝ち負けがある。この興奮が好きだから、どんなカテゴリーでも同じ」と、答えは明快だった。そして「天皇杯でヴェルディと戦ったけど、相手がちょっと上だった。そんなに差はない。チームは魅力的なサッカーにこだわっている。お客さんがこのサッカーが見たい、というチームをつくっています」と矜恃をのぞかせた。


ボンズ市原のチームロゴの入ったクラブハウス
ボンズ市原のチームロゴの入ったクラブハウス

 ただ、クラブには「何年後にJリーグ入り」という目に見えるようなロードマップはない。いみじくも佐久間会長が言う。「Jリーグに行けばいいってもんじゃないのかもしれません。やはり一番大切なのは、地域の人に愛されて、一緒にゆっくり、ゆっくりでいいから上がっていくことなのです」。サッカーの盛んな欧州は100年もの長い歳月をかけ、今のスポーツ文化がある。だからこそ「どんなスポーツでも文化活動でも、目的はみんながそのことによって楽しむ、幸せだなと思えること。そういう社会のイメージをつくっていくことが一つの手段だと思います」とも。

 志を感じる言葉だった。その「志」という字は、11(十一)の心が一つになったもの。それは11人が力を合わせてゴール(目的)を目指す、サッカーというスポーツとも重なる。地域に芽生えた一つの夢。ボンズの理念に触れ、日本各地にも根付くであろう未来のサッカー文化に思いを馳せた。【佐藤隆志】

 ◆佐藤隆志(さとう・たかし)徳島県出身。91年入社。整理部、山梨支局、記録セクションなどを経て、スポーツ部でサッカー、五輪競技を担当。11月からメディア戦略本部に勤務し、煩雑なデジタル編集の作業と格闘中。