JR京都駅から地下鉄烏丸線で20分。終点の国際会館駅に着くと、うっすら雪が積もっていた。取材の目的はテニス全豪オープン女子ダブルスで穂積絵莉(22=橋本総業)と組み、4強入りを果たした加藤未唯(22=佐川印刷)のルーツを知ること。1月25日、準決勝の朝だった。


女子ダブルスで準決勝進出を決めた穂積(左)と加藤は笑顔でサムアップ(撮影・吉松忠弘)
女子ダブルスで準決勝進出を決めた穂積(左)と加藤は笑顔でサムアップ(撮影・吉松忠弘)

 駅から10分ほど歩くと、加藤が小学3年生から高校卒業までを過ごした「パブリックテニス宝ヶ池」が見えた。さあ、取材だ。身長156センチながら、外国勢に負けないストロークはどう生まれたのか…。持参した日刊スポーツ最終面には、エリミユペアの笑顔の写真と「爆笑4強」という大見出しが踊っていた。準々決勝勝利後の会見で、漫才のようなやりとりが繰り広げられていたという。例えれば加藤はぼけ役。その素顔も知りたかった。

 「お~い。ちょっと待っておいてくれ!」

 声の主は加藤を約10年間指導した石井知信さん(72)。コートの雪かきをしていた。石井さんは指導者歴45年。競技者としても88年の京都国体成年男子で京都の準優勝に貢献した。施設内を眺めていると、加藤の快進撃を報じる新聞の切り抜き、過去のプレー写真、賞状、トロフィー…。ごく普通に飾られてそうなものが、見当たらなかった。「待たせたな!」。少しして石井さんがやって来た。すかさず、利用者の女性にツッこまれていた。「石井さん、私たちのために雪かきなんかしてる場合ちゃうよ! オーストラリアに行かないと!」。石井さんは「周りは騒いでいるけれど、うちはいたって普通です」と教えてくれた。

 約1時間後、石井さんの携帯電話が鳴った。突然声のトーンが上がる。「未唯の試合、今日の(午後)1時からなんか!? 明日やと思っていたわ」。思わず噴き出してしまった。一通り取材を終えると、私は「言葉が正しいかは分かりませんが、石井さんの指導って“放牧”ですね」と尋ねた。石井さんは「放牧か。うまいこと言いよったな。そうや。でも、わしは羊飼いが『ピ~ッ』と笛を鳴らしても、そっぽ向いて、どっかに行く羊が好きやな」とげらげら笑っていた。


高校1年生時、ジュニアのウィンブルドンでマリーと記念撮影
高校1年生時、ジュニアのウィンブルドンでマリーと記念撮影

 小学3年生だった加藤の第一印象は「これはすごい選手や」。運動能力が優れていた。加藤にも他の教え子と同じように接した。それが“放牧”だ。石井さんは一切、技術指導をしない。「日本のテニス界はすぐ『こういう打ち方をしなさい』『肘の角度はこうしなさい』『足はこう踏み出しなさい』と指導する。だから同じような選手しか育たない。そんなもん、人によって違う」。バックハンドに課題があれば「ここが打てへんな~」と言い、その位置へ何度もボールを投じる。「こう打ちなさい」とは言わない。加藤も自分で課題を克服する打ち方、試合で勝つ戦略などを考え続けた1人だった。

 石井さんは加藤の試合にも、顔を出さなかった。在籍した10年間でも、生観戦は片手で納まる程度。加藤はジュニアの4大大会など海外遠征にも、中学生の頃から1人で向かった。両親に頼らない。自宅から片道約3キロの「パブリックテニス宝ヶ池」へもバスと徒歩、時にはランニングで通った。縛られないからこそ、試合中にイライラしてラケットを放り投げることもあった。態度を指摘する声はもちろん、石井さんの耳にも入る。そこでも注意はせず、加藤自身が気付くまで待った。

 「上の大会に行って勝つためには、カ~ッときても我慢もしないといけない。そんなもん自然と覚える」


準決勝で1点ごとに話し合い手をたたき合う穂積(右)と加藤(左)
準決勝で1点ごとに話し合い手をたたき合う穂積(右)と加藤(左)

 石井さんはよく、利用者から「技術を全然教えてくれない」と言われるという。だが、指導する側も口出しを控え、待ち続けることは苦しい。「日本のテニスって指導者の型にはめて、何人も有望な芽をつぶしてきた」。石井さんのポリシーと、加藤が持つ才能や前向きな姿勢は見事にマッチし、右肩上がりに成長した。

 加藤はゴルフでも、今と変わらず小柄だった中学時代からドライバーで200ヤード近くまで飛ばした。テニス同様に石井さんの技術指導はない。加藤は深く膝を曲げる「我流」のスイングで、驚きの弾道を描いていたという。「こうやって育てたから未唯はわがまま。でも、本当にテニスが好きだと思うし、気持ちはむちゃくちゃ強いよ」。私の中で加藤のプレーと、足跡がきれいにつながった。

 午後1時を回り「エリミユペア」の準決勝が始まった。フルセットにもつれ込んだ戦いを、石井さんがじっと見つめることはなかった。いつも通り利用者を駐車場で出迎え、時々テレビを見て「楽しそうにやっとるな~」とつぶやいた。敗れた瞬間も駐車場。「やるだけやったんやから。1つの通過点にしてくれれば。普段連絡はしないけれど、終わったら連絡しようかな。『未唯、今回はラケット投げへんかったな』って」。そう笑う石井さんの言葉に、新たな育成法の一端を見た気がした。【松本航】


全豪期間中の練習でもピースサインでサービス精神旺盛な加藤(左)と穂積
全豪期間中の練習でもピースサインでサービス精神旺盛な加藤(左)と穂積

 ◆松本航(まつもと・わたる)1991年(平3)3月17日、兵庫・宝塚市生まれ。大体大ではラグビー部に所属し、13年10月に大阪本社へ入社。プロ野球阪神担当を経て、15年11月から報道部で西日本の五輪競技を担当。