乱れていた呼吸が静まった時、山家正尚(やまや・まさなお)メンタルコーチ(50)は、おもむろに金属のバーと、細い棒を取り出した。

 アイスホッケー女子日本代表「スマイルジャパン」が直面した最大のピンチは平昌五輪最終予選の初戦オーストリア戦第1ピリオド(P)にあった。足が止まり、気持ちが空回りする。今までに感じたことがない焦燥感にぶつかる。そんな様子をじっと見ていた山家コーチは、山中監督に提案する。「心と体が一致するトレーニングをしたい。(休憩)時間を使っていいですか?」。山中監督は即座に「お願いします」と答えた。

 冒頭の道具はエナジーバーと呼ばれる。山家コーチはジャパンメンバーを前に「手にスティックがついてない、地に足がついてないよね。これから音を出します。聞こえなくなるまで、音を耳で追ってください」。棒で金属のバーを軽く触れる。トライアングルのような、澄んだか細い音色だった。小さな音の波紋は、どんどん消え去ろうとするが、繊細な音は小さくなりながらも空間に散らばっていく。選手はそれをじっと耳を澄ませて聞き入った。

 音が完全に去った時、山家コーチは「これでみんなの心と体は一致した。地に足がついた」と、静かに語りかけた。しばしの余韻が過ぎた後、チームの停滞ムードを一変させるコメントをFW中村亜実が発した。「私たちはスマイルジャパン。笑顔で行こう」。中村は「みんなでチャイム(エナジーバー)の音を聞いて、私も何かみんなを元気づけることを言おうと思いました。大沢さんも、久保さんも背中でチームを引っ張るタイプ。今、ここで何かを言うなら私かなと思いました」とその時を振り返った。

 山中監督は初戦の大切さを実感していた。試合前日、理想の第1Pの展開を聞くと「まず無失点に抑え、なるべく早い段階で決めるべき人が決める流れでしょう」と言った。最悪のパターンはと聞かれると「それを口に出すと、本当にそうなりそうで怖いですね。でも、自分たちの動きができない時ですかね」と続けた。

 自分たちの動きとは、積極的に動き続けるホッケー。連係して複数人でどんどん攻め上がりと、攻守交代を素早くどんどん繰り返す。そして最後まで走り抜く。そのためには、最初の出だしで勢いをつけないといけない。守勢に回ってはだめだ。その恐れていた受身に、オーストリア戦で陥った。第1P中盤で得点したが、すぐに同点に追いつかれ、いやな空気で休憩に入った。ここで、仕切り直さなければ、チームはどんどん負のスパイラルに陥る。

 それを防ぐための、メンタルトレーニングであり、FW中村の自発的な言葉だった。山家コーチはエナジーバーの効果を説明した。「五感を研ぎ澄ますことが大事です。それは視覚でも、嗅覚でもいいんですが、今回は聴覚にしました。音を使って集中する。聴覚というフィルターを使うことで、心と体が一致するきっかけができるんです」。

 今回のトライアルは、スマイルジャパンにおいて非常に重要な場面だった。山家コーチは「こういう場面で、チームがどうやって自分の力で立て直せるか、それを見ることができただけでも、本当に意味のある初戦の立ち上がりだったと感じます」と言った。

 メンタルをトレーニングする方法はたくさんある。そして、それを本番の、緊張状態にある中で、いかに有効に使い、効果的な結果を得るか。それを実証したところに、スマイルジャパンの秘められた可能性が見えてくる。本当に五輪で勝てるチームに成長できるのか、平昌で五輪初勝利を挙げることができるのか。彼女たちのチャレンジは、弱い自分を知り、そこからはい上がれる「スイッチ」を見つけたところからはじまったと言える。【井上真】

 ◆井上真(いのうえ・まこと)東京都出身、1990年入社。プロ野球、格闘技、相撲、サッカー、五輪スポーツを担当。