トップアスリートにとって食事は楽しみであり、トレーニングでもある。

 12年ロンドン五輪柔道男子日本代表は金メダルゼロに終わり、16年リオデジャネイロ五輪は金メダル2個を含む全7階級でメダル獲得の快挙を達成した。「世界のJUDO」に対応するために男子代表の井上康生監督(38)は、筋肉量を増やしてフィジカル面を強化する方針を前面に打ち出した。選手の食事への意識も変化し、14年から男女代表の食事を指導する管理栄養士の上村香久子(かくこ)さん(42)も大きな影響を与えた。

管理栄養士の上村香久子さん
管理栄養士の上村香久子さん

 強くなりたい-。選手たちは誰しもがこう思う。特に男子は「筋力アップ」を意識してか、以前から鶏肉などのタンパク質は良く摂取出来ていたという。しかし「炭水化物=体脂肪増加」の考えも強く、エネルギーとなる炭水化物が不足する選手もいた。強化合宿で追い込んだ稽古をして炭水化物が足りないと、タンパク質である筋肉を分解してエネルギーとして使ってしまうため、筋力アップとは逆効果だった。「トレーニングを積んでも、タンパク質と炭水化物、カルシウムをバランスよく取らないと筋肉は増えない」。上村さんは30分のセミナーで選手にこう伝えた。

 合宿や国内外の大会ではバイキング形式が多い。上村さんは選手の食事が見渡せる場所に立って観察した。選手は基本的なことは出来ていたが「惜しい」という部分が多々あったという。メイン料理が肉2品で野菜が欠けていたり、野菜や果物ジュースのコップが大きすぎるなど。上村さんは五輪や世界選手権に同行しても会場や宿舎には入れないため、選手に“自立”を求めた。選手自身が考えて「状況に応じて何を食べれば良いか」という食事トレーニングを実践した。選手からLINE(ライン)やメールで食事の写真が送られてきて、随時、アドバイスを送った。その甲斐あって、徐々に肉だけでなく魚や小鉢などを入れる工夫がされた。また、柔道家は体育会系ならではの「早食いが多い」と指摘。食べ過ぎ防止で口に入れたら30回かむようにと助言した。

ロンドン五輪時、上村さんが作った料理(提供:日本スポーツ振興センター)
ロンドン五輪時、上村さんが作った料理(提供:日本スポーツ振興センター)

 男子選手の1日のエネルギー量は軽量級(60~73キロ級)が2500~3000キロカロリー、中量級(81~90キロ級)が3000~4000キロカロリー、重量級(100キロ級以上)が4000~6000キロカロリーが目安。一般男性が2000キロカロリー前後とされているため稽古での消費量がいかに多いかが分かる。選手にとって本番前の減量も一苦労で、常に「規定体重のプラス5%は超えないようにね」と警告した。計量前になると、アメや凍らせたゼリーで調整する選手もいたという。

 3食の合間の「補食」も重要とし、リオ五輪では軽食を調理した。選手から和食のリクエストがあり、選手村近くのアパートで期間限定の“上村食堂”をオープンさせた。本番に向けて、選手の減量と栄養バランスを考慮して、おにぎりや豚肉のしょうが焼き、ほうれん草のごまあえなどを作った。甘いものも欲する選手のためにカットフルーツやスムージーなども準備した。

リオデジャネイロ五輪時、上村さんが作った料理(提供:日本スポーツ振興センター)
リオデジャネイロ五輪時、上村さんが作った料理(提供:日本スポーツ振興センター)

 試合は朝から夕方まで4~5試合あり、試合間のエネルギー補給の補食として簡単に食べられるおにぎりやサンドイッチなどを作った。試合前日に選手と話し合って、内容や量を決めた。代表選手ともなると、体重計に乗らなくても体重管理が出来ていて「これを食べたら○キロぐらいになる」と分かるという。男子90キロ級金メダルのベイカー茉秋(22=東海大)が、決勝前の練習場で椅子に座っておにぎり2個を食べて周囲を驚かせたということもあった。

 上村さんは言う。「管理栄養士という立場で『これを食べたら絶対にダメ!』とは言いたくないし、選手にとって食事はトレーニングでもあり、練習後の楽しみでもある。ストレスにさせてはいけない。五輪でのメダルの色はそれぞれだったけど、本当によく頑張ってくれた。近所のおせっかいおばちゃんとしても感動させてもらって、感謝の気持ちでいっぱいです」。4年間で柔道復活を遂げた裏には、1人の管理栄養士の存在があった。【峯岸佑樹】

 ◆峯岸佑樹(みねぎし・ゆうき)埼玉県出身の34歳。10年に入社し、文化社会部、営業開発部などを経て、現在はパラリンピックと柔道などを担当。サウナ好き。