東京で初開催されたスポーツクライミングのW杯ボルダリング八王子大会は興奮の2日間を終えた。

 男子はロシアのアレクセイ・ルブツォフ(28)が大逆転で今季2勝目、女子は弱冠18歳ヤンヤ・ガンブレット(スロベニア)も今季2勝目を飾った。男子2位は楢崎智亜(20)、3位渡部桂太(23)、女子2位は野口啓代(27)、3位野中生萌(19)と、残りの表彰台は日本勢が占めた。

優勝したルブツォフ(中央)を悔しそうに見つめる2位の楢崎智(左)。右は3位の渡部
優勝したルブツォフ(中央)を悔しそうに見つめる2位の楢崎智(左)。右は3位の渡部

 ボルダリング、リード、スピードの複合競技として20年東京五輪・パラリンピックからスポーツクライミングは実施される。東京五輪の追加種目になったこと、日本人がボルダリング、リードで好成績を収めていることから、国内での注目度は増している。

 6日の予選は1917人、7日準決勝・決勝では2340人が会場に足を運んだ。特に7日は当日券を含めてチケットは完売だった。

 会場の盛り上がりを背に受けて、日本男子のエース楢崎智亜は「今年最大の目玉」と優勝へ強い決意を示していた。地元開催の喜びと、勝たなくてはいけない重圧、そして力のある欧州勢と激しい競り合いを演じた。

 会場で見ていると、登っていく選手の動きは軽やかで、いかにもゴールできそうな雰囲気が漂う。ボルダリングは対人競技ではない。向き合う課題を登るか、登れないか。静かで、スマートな印象を受けるが、内実はちょっと違う。

■指先の指紋が消えるまで練習

 女子選手が雑談していた言葉が衝撃だった。「指先の指紋が消えるまで練習して、指紋認証はできません!」。にわかに信じ難いが、本紙評論家で、12年~13年にかけてW杯リードの年間総合優勝を果たしている安間佐千さんに聞くと、紛れもない事実だった。「練習を積んでいくと消えてしまいます。練習をしばらくしないとまた指紋は復活しますけど」と笑いながら教えてくれた。

 選手がホールド(人工の突起物)に飛び付く時は、指先の数ミリに全体重がかかる。指がホールドにひっかかればその先に進めるし、すべれば落下して失敗。そういうギリギリのパフォーマンスを繰り返しながら、選手は上へ、上へと登っていく。

 男子決勝では、満員の観客を熱狂させる場面があった。昨年の世界選手権王者楢崎智亜が、第3課題を終えて3T9(=9度のトライで3度の完登)。一方、優勝したルブツォフは2T5(=5度のトライで2度の完登)。楢崎は決勝6人中3番目に登り、ルブツォフは楢崎の2人後の6人中5番目の競技順だった。

女子決勝で第1課題に挑む野中
女子決勝で第1課題に挑む野中

 ボルダリングは完登数→トライ数→ボーナス数→トライ数の順番で順位を決める。つまり、3T9の楢崎は、ルブツォフよりも先に登れるため、4課題目を何トライかかろうが、登れば4Tとなり、ルブツォフはT数で追いつけない。リードしている楢崎が主導権を握っていた。

 当然、ファンも凱旋(がいせん)勝利を期待したが、楢崎は3度トライして失敗した。2度目のトライに失敗した時、落下した楢崎は腰からマットに激しくたたきつけられ、明らかに動揺しているのが見てとれた。この時に、勝敗の流れはルブツォフに傾いてしまったようだ。楢崎は3T9(4B10=10度のトライで4つのボーナス獲得)で終了。電光掲示板の楢崎の結果を見て、2T5のルブツォフは3回以内のトライで登れば優勝という大きなモチベーションを得た。こうなると追う側が有利になる。ルブツォフは3回目に完登し優勝を決めた。

 第3課題で右手を痛めていた楢崎は、それについて聞かれると「それでも(痛めていても)絶対に登らなきゃいけなかったんです」と、敗れた事実を受けとめようとしていた。「今年1番の目玉です。地元で優勝して、みんなにボルダリングやスポーツクライミングを知ってもらいたいです」。そう公言してきた楢崎は、試合後に涙を流した。

■孤独で心のありようが出る競技

 まだ競技を取材して1年足らず。野球やサッカーのような、相手との駆け引きや、明確な流れを変えたポイントを見極めることは難しい。たくさん見て、たくさん話を聞かなければ、どうして登れたのか、なぜ負けたかの答えは見えてこない。

 自分のリズムで、自分だけのアイデアで勝負するボルダリングは孤独で、心のありようがそのまま動きに出ると感じる。心が強い人が勝つのか、自分の弱さをコントロールできる人に勝機が見てくるのか。これから先、選手がいかに追い詰められた精神状態で、壁に立ち向かうかで、結果は大きく変わってくるのだと思えた。

 試合前日、日本代表の安井博志ヘッドコーチはさりげなく言った。「ルブツォフが、東京五輪の金メダルで争うライバルに入ってくるでしょうね。ロシアにはスピードにおける20年のノウハウがありますから」と、穏やかな口調で言ったことが思い出された。そして、安間さんも準決勝前の試合会場で、5つの課題を眺めながら優勝候補として「アレクセイ(ルブツォフ)と、ヤンヤ(ガンブレット)ですかね」と、さらっと言っていた。強い選手は、専門家が見ればフィジカルも、メンタルも充実しているのがわかるようだ。

 そして、その゛旬゛の選手に勝つには、トライ1回の差、ホールドをつかむか滑り落ちるかの数ミリの差が分水嶺(れい)になる。見る側もそうしたことを思い浮かべながら、自分も壁に張り付いているような気持ちで見ると、より一層、感情移入ができると感じた。【井上真】

 ◆井上真(いのうえ・まこと)東京都出身、1990年入社。プロ野球、格闘技、相撲、サッカー、五輪スポーツを担当。