沙羅ちゃんが泣いた。いや、泣かせてもらったと言った方が、しっくりくるかもしれない。

 ノルディックスキー・女子のエース高梨沙羅(20=クラレ)が、昨季、2月の世界選手権で銅メダルにとどまり涙を流したシーンは世間で知られているところだが、その約半月前。1月下旬のW杯蔵王大会(山県)の最終日に、ファンや報道陣の目の届かない選手エリアで実は“泣かされていた”。

 1月28日のW杯蔵王大会(山形)の2戦目。日本開催直前までのW杯では、6戦5勝とほぼ完璧な結果で節目の50勝に王手をかけて日本4連戦にのぞんだ。期間中「日本で50勝を達成したい」と言い続けたが、日に日に高まる期待がいつしか重圧に変わった。結果は2位、4位、5位、2位。1度も定位置に立つことなく50勝はお預けとなった。

 ぎりぎりの精神状態の中、ファンの前では気丈に振る舞う女王の姿を見て「泣かそう」と思ったのが、全日本スキー連盟の山田いずみコーチ(38)だ。もちろん「プレッシャーから解放させるため」だったが、飛び終え引き上げてきた高梨に近づこうとした時、ひと足先に近づいた先輩の平山友梨香(26=長谷川ホールディングス)が高梨の頭をポンポンとたたいて「頑張ったね」と声をかけた。その瞬間、女王の目から熱い涙がこぼれ落ちたと言う。

 全日本での活動以外の時は、山田コーチは高梨のパーソナルコーチであるとともに平山も指導している。必然的に2人が一緒に練習する機会は多くなる。そこでのぞかせるストイックなまでの後輩の戦う姿勢を知っている。平山は「沙羅は本当に頑張っている。それを近くで私は見ているので、言えるのは私かなと思って」と話す。山田コーチは「友梨香やるな、って思いましたよ。チームになったなと思いました」。20歳にして世界のトップに立ち、重圧と戦い続ける後輩に、2人の先輩がそっと寄り添っていた。

 その2戦前。2枚看板に成長した伊藤有希(23=土屋ホーム)が、W杯札幌大会で初勝利を挙げた。満面の笑みを浮かべるヒロインを、大粒の涙を流しながら見つめる人がいた。14年ソチ五輪を逃し、そのシーズンを最後に引退した小浅星子さん(34)だ。

 現在、スキー、スノボのワックスを扱う「ガリウム」で広報などを担当している。この日は全日本チームのワックス作業を手伝い、後輩たちを後押ししていた。「小さい時から有希をみてきたから。辛いときもあったけど報われて良かった。心からおめでとうと言いたい」と自分のことのように喜んでいた。

 20数年前、ジャンプ女子は、何もないところからのスタートだった。第一人者の山田コーチらは、女子の大会もなく男子の大会に出場していたが、力の違う男子には到底かなわなかった。控室もなくトイレで着替えるなど、まったく認めてもらえなかった。勝つ喜びも知らず、「ジャンプを飛ぶと子どもが生めなくなる」と露骨に言われたこともある。厳しい環境だったが「ジャンプが好き。いつか五輪に」と励まし合い、踏ん張り続け、14年ソチ五輪で正式種目に採用された。

 山田コーチ、小浅さんら先輩ジャンパーは、五輪出場の夢は果たせなかったものの、夢を託し、陰ながらに後輩たちをずっと支え続けている。高梨は以前、「先輩たちがいてくれるから安心して飛べる」と話したことがあったが、女子チームの強さはここにあると思う。

 女子初の五輪だった14年ソチ大会は高梨の4位が最高。新旧が融合した「チーム女子」の2度目の五輪を、しっかりと見届けたい。【松末守司】


 ◆松末守司(まつすえ・しゅうじ)1973年(昭48)7月31日、東京生まれ。06年10月に北海道本社に入社。夏は競馬、冬はスポーツ全般を担当する二刀流。10年バンクーバー、14年ソチ大会と2度の冬季五輪を取材した。