今年も全国高校ラグビー大会の閉幕で、高3の青春期が一区切りを迎えた。その一方で、1年後の大舞台を目指す下級生にシーズンオフはない。21日には京都工学院が、春の全国選抜大会につながる近畿大会京都府予選の初戦を迎える。

 前身は花園を4度制した名門の伏見工。16年春の学校統合を経て、17年11月の京都府予選決勝で伏見工最後の3年生が引退を迎えた。親しみのある校名が消える大きな節目を迎え、1カ月後の12月からウェブサイト「ニッカンスポーツコム」で「泣き虫先生と不良生徒の絆」と題した記事を連載した。その取材に応じてくれたOBの1人が、奈良朱雀(すざく)高ラグビー部監督の山本清悟(しんご)さん(57)だった。

奈良朱雀(すざく)高でラグビー部監督を務める山本清悟氏
奈良朱雀(すざく)高でラグビー部監督を務める山本清悟氏

 山本さんは1976年(昭51)に伏見工へ入学。京都随一の繁華街「祇園」にあった弥栄(やさか)中(現開睛中)在学時、周囲から「弥栄の清悟」と呼ばれた。

 バイクを乗り回し、賭博、パチンコ、マージャン…。ケンカに明け暮れ“京都一のワル”と恐れられた男が、伏見工の山口良治監督(74=現京都工学院総監督)に口説かれてラグビー部に入部。それから1年で高校日本代表に選ばれ、卒業後の伏見工花園初優勝へと続いていく物語は、テレビドラマ「スクール☆ウォーズ」に描かれた。

 「お前は悪いヤツの気持ちが分かる。そういうヤツを救ってやれ。教師を目指すんやぞ」

 卒業前にそう訴えられ、山本さんは山口監督の母校である日体大へと進んだ。

 あれから39年。JR奈良駅からタクシーで10分ほどの奈良朱雀高で、ジャージー姿の山本さんが出迎えてくれた。自然とこちらの背筋はピンと伸びた。そんな緊張をよそに「あの頃と体格は変わってませんわ」と笑う山本さんに、これまでの歩みを聞いた。度々話に出てくる山口監督のことを「恩師」と呼んでいたのが、特に印象深かった。

 連載に書ききれなかったのは、大学進学後の話。1983年(昭58)の日体大卒業前、山口監督から「京都に帰ってこいよ」と声をかけられた。だが、教員採用試験で不合格。翌84年の奈良国体の強化選手として、奈良県の教育委員会に勤めることになった。

 国体後に赴任したのが奈良工(現奈良朱雀)高の定時制だった。「昼間の学校をドロップアウトした子とか、不登校の子たちを誘ってラグビーをやって、7人制の大会に何度か出場したんよ」。そうして40歳になると「やるなら今しかない」と異動を願い出た。「ラグビー不毛の奈良県で(ラグビー部を)作っていこうと思ったら、やっぱり工業ですわ」。校長への訴えが実り、奈良工の全日制へ配置換えが実現。1年目に同好会を立ち上げ、2年目にクラブへと昇格させた。

 山本さんの指導の原点は、他ならぬ山口監督の教えだ。

 「僕なんかは人に助けてもらって、人に救われた人間やから。助けてもらうには一生懸命さとか、ひたむきな姿勢が、すごく大事じゃないかなと思ったんや」

 教え子にはいつもこう投げかける。

 「人の心を動かしてみい」

 「人を感動させてみい」

 「人の心なんて、簡単には動かんぞ」

 思い返せば伏見工入学当初、酒とタバコにむしばまれた体は悲鳴を上げた。約100メートルをパスをつなぎながら走る「ランパス」では20~30メートル離された。ゼェゼェと肩を揺らし「もう辞めたる!」と叫びながらゴール地点にたたきつけたボール。そんな時も仲間から「清悟、頑張れ!」と声がかかり、山口監督からは「清悟、ええぞ!」と何度も励まされた。

 それが夜の街で遊び回り、「京都一のワル」と呼ばれた中学時代にはない、人の温かみだった。ラグビーをしなければ「どうなってるか分からん」と笑う人生が、周囲の人間の手によって変わっていくことを山本さんは伏見工で学んだ。

高校日本代表に選ばれた当時の山本清悟(右)(山本清悟氏提供)
高校日本代表に選ばれた当時の山本清悟(右)(山本清悟氏提供)

 御所実高、天理高の2強が立ちはだかる奈良県で、花園出場の道は険しい。それでも山本さんは、生徒と真正面から向き合うことに生き甲斐を感じている。数年前の花園予選直前。そこで流した涙が、忘れられないという。

 「ラグビー経験者がゼロやった学年があってね。最後の花園予選前に、僕らが伏見でしてもらった時のように、ジャージーを試合前に渡したんですわ。その1人1人の目を見たら、しゃべることも出来ないぐらい泣いてもうた。『3年間、よう頑張ったな』って…」

 山本さんの表情がひときわ柔らかくなったのは約1時間の取材の最後、荷物を片付け始めた時だった。

 「教え子が2人、実習助手として奈良の学校に戻ってきて、教員(採用試験合格)を目指してくれているんです。僕を見て、体育の教員を目指してくれたみたいなんですわ」

 全国のファンに多くの感動を与えた伏見工ラグビー部。その財産の1つが、山口監督が愛情を与えて育んだ「人」だろう。山本さんだけでなく、全国に散らばったOBが次世代へと伝える「伏見工の教え」を知った。目の前の相手に、真正面から向き合うこと-。その大切さが、心に深く刻まれた年の瀬だった。【松本航】


 ◆松本航(まつもと・わたる)1991年(平3)3月17日、兵庫・宝塚市生まれ。兵庫・武庫荘総合高、大体大とラグビーに熱中。13年10月に大阪本社へ入社し、プロ野球阪神担当。15年11月から西日本の五輪競技を担当し、現在は平昌五輪に向けてフィギュアスケートとショートトラックを中心に取材。