NHK杯のFSで可憐な演技を見せる三原舞依(2018年11月10日撮影)
NHK杯のFSで可憐な演技を見せる三原舞依(2018年11月10日撮影)

フィギュアスケート女子の三原舞依(19=シスメックス)がまた少し、「アスリート」へと近づいた。誤解を招くような書き方だが、11日に閉幕したグランプリ(GP)シリーズ第4戦NHK杯(広島県立総合体育館)で204・20点の4位。表彰台にはたどり着かなかったものの、演技を通して「アスリートらしさ」が伝わってきた。

その視点で見始めたのは、2週間前のことだった。NHK杯への調整の一環として出場した、10月27~28日の全兵庫選手権。リンクへとつながる廊下で、2日目のフリーを終えた三原の自己分析を聞いた。

「しっかりとしたアスリートになりたい。まだ多分、私は『普通の人』なんです。体力面も、精神面も強くなりたい。今回の実力不足を、しっかりと受け止めたいと思います」

都道府県レベルの大会のため、演技直後に得点の発表はない。取材が終わると、三原は主催者が壁に貼った1枚の順位表を見つめた。同門で平昌五輪(ピョンチャンオリンピック)6位の坂本花織(18=シスメックス)に次ぐ2位で、181・42点。結果的に後のNHK杯より20点以上も低い点数を見つめ「これでも、思っていたよりもらえた方です」と言い聞かせるようにつぶやいた。

それほどまでに2週間前の状態は厳しかった。10月上旬にウイルス性の風邪で体の節々が痛み、5日間練習を休んだ。その時期に調整として出場予定だった、近畿選手権を欠場。実戦感覚をつかむために全兵庫選手権にエントリーはしたが、ショートプログラム(SP)があった27日の朝練後まで、出場するか、迷っていたという。

「それでも友達とか親戚が『見に行くから頑張ってね』と言ってくれていた。見に来てくれる人に少しでも喜んでもらったり、幸せになってもらうっていうのが私の目標。だから、それを今後も貫き通すために、ジャンプやスピンの出来どうこうより、『滑りでお客さんを魅了したい』と思って出場を決めました」

そう腹はくくっていたものの、ジャンプのミスなど本来の出来には遠かった。

三原が目指す「アスリート」とは、どのような人を指すのか-。

「大坂さんとか、かおちゃんみたいな人」

別の取材機会ではこうも言った。

「かおちゃんみたいに、思い切れて、パワーのある選手が同じリンクにいる。トップに行くにはミスのない演技と、パワーが必要だと思う」

「かおちゃん」とはライバルであり、友人の坂本。そして「大坂さん」とは、9月にテニスの全米オープンで日本人初の4大大会優勝を果たした大坂なおみ(21=日清食品)のことだ。

日本中が「大坂フィーバー」となった同月、中野園子コーチ(66)とともに指導を受けるグレアム充子コーチ(59)に、ある新聞記事を見せられた。

「舞依、この記事を見て。リンクの上では、みんなが望む『スケーター・三原舞依』でいてね」

コートに立った大坂が「我慢」を覚え、快進撃につなげたという内容だった。記事とグレアムコーチの言葉を、三原は自分なりに落とし込んだ。

「テレビでもよく、大坂なおみさんは『我慢した』って言っているのを聞きました。いろいろな状況で試合に出ていると思いますが、コートに立てば、自分をコントロールできる。私はまだ、ふとしたところに『素の三原舞依』が出るんです。どこから見られていても美しい姿勢だったり、どの瞬間を写真に撮られても、絵になるような選手にならないといけない」

15年12月には「若年性特発性関節炎」という難病で入院。そこから立ち上がり、17年の4大陸選手権では初出場初優勝で脚光を浴びた。持ち味の柔らかいスケーティングには感謝の思いや、競技に打ち込める幸せがにじみ出る。個人的には「素の三原舞依」を出すことが魅力では、と感じていた。だが、平昌五輪出場を逃す悔しい思いをし、時に他競技の選手を見て、別の発見があった。それが「アスリートになりたい」という新しい感情なのだろう。

紆余(うよ)曲折を経て迎えたNHK杯。SPではガッツポーズも飛びだし、体力面で2週前からの向上が目に見えて分かった。フリーでは6分間練習で他の選手と交錯するハプニングがありながらも、心を整え、合計200点台に乗せた。私が「アスリートに近づいた」気がしたのは、その経緯があったからだった。

だが、三原の自己評価は、もう少し厳しかった。

「一番の夢は五輪に出ること。でも、まだ1%ぐらいしか進めていない。(2週前から状態を上げて)ちょっとは自信になったと思うけれど、それは自分比で比べているところがあると思います。トップの選手とも戦えるぐらい、実力のある選手になっていきたい。だから『本当にまだまだ練習が足りないな』って感じています」

NHK杯は16歳の紀平梨花(関大KFSC)が日本勢初のGPデビュー戦優勝を果たし、2位に入った宮原知子(20=関大)もフリー最終滑走の重圧の中で、観衆が総立ちになる演技を披露した。その結果から、報道は他の選手に多く割かれた。それでも確かなことがある。三原も力強い1歩を、前へと踏み出した。【松本航】(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「We Love Sports」)

◆松本航(まつもと・わたる)1991年(平3)3月17日、兵庫・宝塚市生まれ。武庫荘総合高、大体大とラグビー部に所属。13年10月に大阪本社へ入社し、プロ野球阪神担当。15年11月から西日本の五輪競技を担当し、18年平昌五輪では主にフィギュアスケートとショートトラックを取材。

NHK杯、SPの演技を終えファンの大歓声にガッツポーズをして応える三原舞依(2018年11月8日撮影)
NHK杯、SPの演技を終えファンの大歓声にガッツポーズをして応える三原舞依(2018年11月8日撮影)