名古屋駅で電車を乗り換え、40分ほど揺られると近鉄四日市駅に着く。そこから田舎道を車で20分。天然芝のグラウンドに、ラグビーのジャージーを着た女性が集まってくる。正月気分が過ぎた1月中旬。遠くに見える山には、白く雪がかかっていた。

「高校生を教えていた時とは、少し違うかもしれないですけどね。でも彼女たちは、東京五輪や、日本代表としてW杯を目指しているんです。ほら、あそこ、早く来て、1人で走っているのは、日本代表のキャプテンなんですよ」

記虎敏和監督(66)は、そんな風に、選手1人、1人を詳しく教えてくれた。全国高校ラグビーで、大阪の名門だった啓光学園(現常翔啓光)を日本一へ導くこと計6回。04年度には総監督として4連覇を達成した。ロイヤルブルーのジャージーは、全国の高校生ラガーを震え上がらせるほどに強かった。

京都の龍谷大監督を経て、三重県に本拠を置く女子ラグビーのパールズに移ってきたのは、3年前のことだ。21年三重国体での優勝を目標に掲げ、16年に設立。翌17年度には7人制の太陽生命ウィメンズで初出場初優勝の快挙を達成した。チーム名には「真珠のように世界から注目され、強く優しい志を持つように」という思いが込められている。

選手はみな、仕事をこなしながら夢を追い続ける。昼間は介護の仕事、夕方からはマネジャーをする堀野奈久瑠(25)は、軽自動車で駅まで送ってくれる道すがら、こんな話を聞かせてくれた。

「みんな人生をかけて、ここに来ているんですよ。女子なら結婚に憧れたりする、そんな年ごろじゃないですか。でも、それよりラグビーなんです。夢とか、目標とか、真剣にできるのは今しかないですから。私も、親を説得して三重まで来ました」

BKの保井沙予(26)は、天理大時代は陸上部で400メートルハードルの選手だった。大学の授業で、同じ天理大出身の記虎監督と出会い、本格的にラグビーを始めたのは卒業後のことだ。「陸上は真っすぐに走らないといけない。でも、ラグビーはステップを切ったり、真っすぐに走らなくてもいいところが面白いです。トライを取った瞬間が最高。目標は東京五輪です」。

FW末結希(25)の弟拓実は、帝京大のSHとして1月2日の大学選手権・天理大戦に途中出場した。日本代表として17年W杯アイルランド大会に出場した姉は「小学生の頃から花園の高校ラグビーを見ていました。記虎監督には仲間を信用してプレーすることが1番大切だと教わりました」。

大体大出身で日本代表主将を務める斉藤聖奈(26)も「人としてどうあるべきかを、教えてもらっています。人間性は1番学んだこと。今は21年W杯を目指しています」。そう話す彼女たちの目は、輝いていた。

66歳になった記虎監督の指導者としての理念は、一貫している。

「ラグビーは痛い、きつい、しんどい。みんなそう思っているかも知れないけれど、本当は違うんです。ラグビーとは、ボールを使う鬼ごっこ。楽しいものなんです。私自身、昔はそれが分からずに、理不尽で頭ごなしの指導をしていたこともあった。それが、ニュージーランド(NZ)に行って、考え方が変わった。彼らは強い。強いのに、真剣に練習をしているグラウンドから、笑い声が聞こえてきた」

それはまだ、啓光学園が強豪と呼ばれる前のことだった。今から30年と少し前、昭和の終わり。大体大を率いていた元日本代表WTBで「世界のサカタ」と呼ばれた坂田好弘監督(現関西協会会長)に誘われ、NZ遠征に付いていった際に目にした光景が、今でも忘れられないという。

「3回くらい大阪予選では決勝まで行ったのに、勝てない。もう1歩の壁が、超えられない時期でした。なぜ勝てないのか、自分自身、葛藤していた時に、NZでラグビーの本質を知ることができた。例え、自分のイメージと合わなくても、子供たちにイメージがあれば、それでいい。楽しみながら考え、自分たちで見つけることが大切なんです」

今年9月にはアジア初開催となるラグビーW杯が日本で開幕する。

「楽しみですよね。ラグビーに興味を持ってくれる女の子や、子供たちがもっと増えてくれたらいい」

かつて高校ラグビーで「無敵の監督」として花園を沸かせた人は、今も愛するラグビーに情熱を注いでいた。【益子浩一】