卒業式取材はいつも心が若返った気分になる。3月2日、神戸市中央区の夙川学院高。柔道女子52キロ級の世界女王で20年東京五輪金メダルを目指す阿部詩(18)はクラスメートと、在校生が作る花道をくぐった。

小さなラッパと手拍子による手荒い見送り。式中は涙を流していた阿部も、一瞬で体育会系のノリを思い出したように笑っていた。

その背中を見送った柔道部の松本純一郎監督(50)は「4月からは1ファンとして、阿部の活躍を楽しみにしています」とホッとしたような表情を浮かべた。雑談になると「金なんて、パリで3位になって、それでも夙川賞がもらえないんですから…」とも言った。

阿部と同じクラスの金知秀(キム・チス)は57キロ級の韓国代表。18年2月のグランドスラム・パリ大会で銅メダルを獲得した。「夙川賞」はスポーツで世界的な活躍をした生徒に贈られる同校の賞というが、仮に阿部と違う学年であれば、金が受賞していたことだろう。女子は同年夏の全国高校総体団体で24年ぶり4度目の日本一。阿部が「みんなと出会って強くなった」と話した通り、時にぶつかり、時に励まし合いながら、稽古に打ち込んできた。

卒業式から10日後の3月12日。阿部らが巣立った柔道場では下級生たちが汗を流していた。その合間に、こんなやりとりがあった。

「体で気になるところはありますか?」

「ちょっとこのあたりが…」

「では、1回座ってみましょう」

18年夏の全国高校総体女子70キロ級を1年生ながら制した桑形萌花(くわがた・もか)は、柔道場の隅で指示を受けた通りに脱力した。寄り添うのは近畿医療専門学校の小林英健(ひでたけ)理事長(60)。リズム良く「じゃあ、次はうつぶせになろう」「横を向いて」と桑形の体勢を変えながら、骨盤のゆがみを矯正していった。

「あっ、楽になりました」

そう言って稽古に戻る桑形らの様子を見ながら、松本監督は「日々の練習で『これだけやったら負けない』というぐらいの自信をつける。阿部もそうですし、世界と戦うような選手は重量級の選手と組み合います。そうすると、同時に体は負担がかかる。疲労がピークになった時に怖いのがケガなんですよね」と落ち着いた口調で言葉を紡いだ。

新しい取り組みは1年前、18年2月から始まった。松本監督が柔道界の人脈をたどっていると、1人のトレーナーに行き着いた。

「うちは人数も多くなり、とても私たちでは全員を見切れないので、力を貸していただけませんか」

鈴木桂治、石井慧らを輩出した名門・国士舘大OBで、近畿医療専門学校の専任教員となっていた東入来健太さん(33)はその依頼を快諾。本業の休日に夙川学院を訪れた東入来さんは部員の体のケアと並行し、柔道着姿で指導の手助けもした。松本監督は言う。

「偉そうには言えませんが、『トレーナー』には信頼が必要だと思うんです。東入来先生は部員のテーピングをしながら、道着を着てコミュニケーションも取ってくれる。今日みたいに理事長まで、足を運んでくださる。阿部のように世界で活躍する選手は『見させてください』といろいろなところから声がかかりますけれど、うちの柔道部全体を『家族』として、扱っていただいているんです」

多くの柔道整復師を育成する小林理事長は「スポーツ活法」と呼ばれる療法を用い、自らもプロ野球選手、関取など、幅広いアスリートを担当する。業界内で広く名を知られた存在ながら、夙川学院柔道部員を無償でケアしているという。その理由を尋ねると、小林理事長は穏やかに笑った。

「私が松本監督にお願いしているのは1点だけなんです。『生徒さんの中で大きな故障や、何らかの理由で、アスリートの道を諦めないといけない人がいるかもしれない。その時にはこういう道(トレーナー)もあるよ、と勧めてあげてください』。これだけの練習をしていて、どこも痛くない人はほとんどいないと思います。私や教え子も限られた人数ですし、全ての学校に…とはいかないですが、できる限り応援できたらと思っているんです」

今や外部コーチ兼トレーナーとなった東入来さんの隣で稽古を見ていると「あの大きい子は」「あの子は結果が出ていないけれど、こうすれば」…と口調が熱を帯びていった。そこにあるのは部員の実績に関係なく注がれる愛情だろう。松本監督は「指導現場の今」を、このように分析した。

「お金を払ってトレーナーを雇えるのは、本当に一部の学校だけだと思います。でも、昔みたいに根性論だけではダメなのも事実。監督とトレーナーが同じ位置にいないといけない。だから、この出会いにはすごく感謝しているんです」

プロ選手や、スポンサーのつくトップアスリートとなれば、体のケアに投資することもできる。だが、学校の部活動において、その負担は簡単ではなく、後回しになる。放課後の練習が終わった夜には、街の病院や整骨院が営業時間外…。若返った心で自らの学生時代を思い返しても、そういった情景はすぐに浮かんだ。阿部ら新芽を優しく包み込む存在は、静かに一石を投じている。【松本航】


◆松本航(まつもと・わたる)1991年(平3)3月17日、兵庫・宝塚市生まれ。武庫荘総合高、大体大とラグビー部に所属。13年10月に日刊スポーツ大阪本社へ入社し、プロ野球阪神担当。15年11月から西日本の五輪競技やラグビーを担当し、平昌五輪ではフィギュアスケートとショートトラックを中心に取材。