その光はかすかだが、確かにある。16年リオデジャネイロ五輪競泳男子200メートルバタフライ銀メダル坂井聖人(23=セイコー)は、2日までのジャパン・オープンで世界選手権代表を逃した。

同種目の代表入りに必要な派遣標準記録に0秒23届かない1分55秒78の3位。五輪銀メダリストが2年連続代表落ち。早すぎる夏の終わりに、坂井は「代表を落ちて、あきらめるわけにいかない。明日から頑張りたい」と言葉を絞り出した。

苦難の道が続いている。16年リオデジャネイロ五輪。最後のオリンピックを迎えた怪物フェルプスを猛追した。自己ベストの1分53秒40をたたきだし、わずか0秒04差の2位。指の差まで怪物をおいつめた。五輪後はパワーアップのためにウエートトレを増やした。17年4月の日本選手権は1分53秒71と好記録で優勝。フェルプスが去った同種目で世界の頂点を見据えた。

だが少しずつ歯車が狂っていった。17年世界選手権は不完全燃焼の6位。ウエートトレの増加で、右肩の痛みが増した。一時は冷蔵庫の開け閉めに苦労するほど。肩があがらず、日常生活にも支障が出た。痛みが出ないフォーム探しが、迷路の入り口だった。ここ2年は「タイムが出ない原因がわからない」と首をひねるシーンが多くなった。

昨夏には右肩のガングリオン除去手術を敢行した。今年5月にはブダペストでの国際大会で1分55秒50をマーク。「肩の痛みが減って、泳ぎやすい。遠くの水をキャッチして進んでいる感覚がある」。同じタイムで泳げば、代表に復帰できる。ジャパン・オープン予選は余力を残して1分56秒87。予選後には、すれ違う多くの関係者から「いいよ」「いいよ」と声をかけられた。だが日の丸のユニホームはするりと手から落ちた。「練習のタイムはいいけど、なんで結果が出ないか、わからない」とまた首をひねった。

「リオ五輪のころはがつがつ泳いでいたが、ウエートトレを増やして、水中練習は量より質にした。17年4月の日本選手権はそこそこうまくいった。でも肩が痛くなって、練習でも追い込めなくなった。それを続けてしまった。いろんな人の意見を取り入れたり、海外で練習に参加してみたり。練習再開から少しずついろんな選手のところにいってみようかなと思う」。

どんな時でもベストを尽くす練習の虫だ。200メートルが終わった夜はベッドに入っても深夜3時まで眠れなかった。失望と先が見えない不安に胸がざわついた。それでも最終日の100メートルに臨んだ。専門外で代表入りできる持ちタイムはないが「やれることはやって、出し切って終わりたい。棄権するとふがいないまま終わってしまう。逃げないでさらけ出そうと思った」。

結果は予選全体の18位で敗退した。「皆が世界選手権に行っている時にどうやって泳ぐか。皆よりも早くスタートが切れる。ポジティブにとらえたい。それに日本選手権よりもタイムが上がった。少しは自信を持てる」。

100メートルは日本選手権が53秒68、ジャパンオープンが53秒38だった。わずか0秒30の光はかすかだが、確かにある。【益田一弘】(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「We Love Sports」)

◆益田一弘(ますだ・かずひろ)広島市出身、00年入社の43歳。五輪は14年ソチでフィギュアスケート、16年リオデジャネイロで陸上、18年平昌でカーリングなどを取材。16年11月から水泳担当。