全日本柔道連盟(全柔連)の職員に「意外な顔を持つ男」がいる。柔道日本代表がコロナ禍以降、初めて出場した1月のワールドマスターズ大会(カタール・ドーハ)に、新型コロナウイルス対策担当マネジャーとして選手団に同行した蒲原光一さん(43)だ。

全柔連の国際課に属する蒲原さんは、国際柔道連盟(IJF)と日本選手団の間に入り、感染症に関する情報伝達を円滑に行うのが役目で、“陰の立役者”としてサポートした。さまざまな制約がある中、9日間のドーハ遠征をこう思い返した。「とにかく陽性者が出なくて良かった。初めてづくしの出来事が多々ある中、帰国後2週間の自主隔離まで選手団全員が問題なく終えることができて安心した」。もし、現地で陽性者が出た場合、治療法や隔離環境、重症化した際の不安があったという。

現地では、IJFなどの規定に基づいて行動した。外部接触を遮断するバブルが適用され、会場とホテル以外は外出禁止。ドーハ空港到着後のPCR検査を終えると、各自が「検査結果待ち」を示す赤のリストバンドを手首に着け、ホテルの個室で缶詰め状態。3食弁当が提供され、空港到着から17時間後にIJFの専用サイトで全員陰性を確認した。「陰性証明」を示す緑のリストバンドに付け替えて、ようやくホテル内の食堂やロビーへの移動が許された。

試合前の調整や減量などを行う練習場の利用時間も50分と制限。通常2時間程度調整する日本代表にとっては短く、ウオーミングアップは各自部屋で済ませてからホテル屋上の練習会場へ向かった。付き人は帯同してないため、練習では男子代表の井上康生監督(42)が100キロ超級の原沢久喜(28=百五銀行)の技を受けるなどした。ジムやプールなどの施設も使用禁止で、選手はこれまで以上に国内で減量してから現地入りした。

食堂での食事はビュッフェ形式だったが、ドリンクを含めた料理の取り分けは全てホテル従業員が担当した。1品ずつ「○○多めで」「○○少なめで」などと説明して取り分けてもらい、大テーブルで選手団ごとに静かに食べた。食事後は、従業員がすみやかに食器を取り下げた。

コロナ禍ならではなのか、好評だったのがホテルの「クリーニング3点無料サービス」。海外遠征で選手たちは分厚くて重い柔道着を手洗いするのがお決まりで、洗濯した道着がホテルの廊下などに干される光景はおなじみだ。今回は衛生面などを考慮して「干してあったら捨てる」との案内があった。その一方で、クリーニングサービスに異例の柔道着が含まれ、利用した選手たちから「助かった」との声が上がった。

蒲原さんは独学で学んだ英語を使って、一連の幅広い業務の調整役として携わった。自称「なんでも屋」として選手団を支えたが、実は柔道関係者内でもあまり知られてない意外な過去を持つ。学生時代から英国留学するなど海外との関わりを持ち、大学卒業後に青年海外協力隊柔道隊員としてアフリカ西海岸のガーナで2年10カ月活動した。野口英世が黄熱病の研究をしたことで知られる現地では、初心者から代表まで柔道を指導。日本とは異なり強化費はないため、大会前の合宿は自宅に選手を集めて苦楽をともにした。

「(出身の)兵庫県代表にもなれなかった選手が、『日本から来た』というだけで感動してくれて…。いろいろな出会いがあり、改めて柔道の素晴らしさや力を実感した。文化の違いで驚くことは多々あったが、本当に貴重な経験をさせてもらった」

ガーナと言えば、サッカー一色のお国柄で知られるが、柔道の西アフリカ大会でメダルを獲得する選手が出るまでになった。その功績と青年海外協力隊のガーナ派遣25周年を記念して、02年に蒲原さんら日本人5人が同国の「記念切手」になった。蒲原さんの切手は、柔道着姿で体落としを指導してる写真が使われ、日本人をまとめた5枚セットで販売された。協力隊員が赴任国で切手にデザインされるのは初めてのことで、まさに“偉人”となった。当時、協力隊員を派遣する国際協力機構(JICA)も「日本の国際協力が高く評価された証し」とコメントしていた。

「先輩たちの努力の積み重ねのおかげで、たまたま節目の年に選ばれただけ。偶然が重なっただけだけど、教え子が記念切手を見た時に『おぉー!!』と笑顔で喜んでくれたのは、ガーナでの印象深い思い出の1つです」

日本から約1万4000キロ離れたガーナで、改めて柔道の魅力を知った43歳の偉人。コロナ禍での貴重なドーハ遠征の経験を生かし、今は金メダルを狙う東京五輪代表の一助となるべく、ヒントを模索している。【峯岸佑樹】(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「We Love Sports」)

ワールドマスターズ大会で日本代表の新型コロナウイルス対策担当マネジャーを務めた蒲原光一さん
ワールドマスターズ大会で日本代表の新型コロナウイルス対策担当マネジャーを務めた蒲原光一さん
ドーハのホテルで隔離中に配布された食事
ドーハのホテルで隔離中に配布された食事
ホテルの食堂で選手らの食事を取り分けるホテル従業員
ホテルの食堂で選手らの食事を取り分けるホテル従業員
大会参加者の行動を制限するために、ホテル駐車場に設置された仕切り板
大会参加者の行動を制限するために、ホテル駐車場に設置された仕切り板
ホテル屋上に設置された練習場の畳を消毒する大会関係者
ホテル屋上に設置された練習場の畳を消毒する大会関係者
無観客開催されたワールドマスターズ大会
無観客開催されたワールドマスターズ大会
会場の畳を消毒する大会関係者
会場の畳を消毒する大会関係者
会場で大会スタッフらが持ち歩いて注意喚起したマスク着用ボード
会場で大会スタッフらが持ち歩いて注意喚起したマスク着用ボード
ドーハ到着後の陰性証明が確認されるともらえる緑のリストバンド
ドーハ到着後の陰性証明が確認されるともらえる緑のリストバンド
ドーハ到着後、PCR検査の「結果待ち」を示す赤のリストバンド
ドーハ到着後、PCR検査の「結果待ち」を示す赤のリストバンド