先日、ポーランドのワルシャワで行われたフィギュアスケートの国際大会でのことだった。

北京五輪を目指す日本のカップル、村元哉中・高橋大輔組を見ようと、アイスダンスのフリーダンスのライブ配信映像を見ていた多くの人が、同じように思っただろう。

「鬼滅の刃」をテーマに滑るジャクス(左)とガリ(本人提供)
「鬼滅の刃」をテーマに滑るジャクス(左)とガリ(本人提供)

「あれ、見たことある衣装だな」

オランダ代表の女性が着こなしている羽織風は、白を基調にピンクと淡い緑のデザインが施されている。そして、黒の襟付き服をまとった男性の背中には「滅」の漢字。これは明らかに「鬼滅の刃」しかない…。

流れ始めた曲が、正解を教えてくれた。アニメの挿入歌として使われている「竈門炭治郎のうた」が会場に響き始めた。「失っても 失っても 生きていくしかない♪」。日本語の歌詞もそのままに、2人は“氷上鬼滅”の世界を表現していった。

「私達は日本の文化を愛してるし、よく日本のアニメを見ます。スケートの練習と勉強に忙しい日々ですが、アニメを見たり漫画を読む時間は奪えないものですね!」

後日教えてくれた女性スケーターの名前はハナ・ジャクス(21)。そして、コンビを組む男性スケーターの名前はアレッシオ・ガリ(25)。結成5年目、オランダ代表として大会に出場してきた2人だった。

国際スケート連盟(ISU)の公式プロフィルにも、今季のフリープログラムとして「Kamado Tanjiro no Uta (from "Demon Slayer") by Samuel Kim」「Zenitsu Theme (from "Demon Slayer") by Samuel Kim」などの記載がされている。「Demon Slayer」とは海外での「鬼滅の刃」のタイトル名だ。

「最初にアニメを見た時にほれ込んでしまったんです。サウンドトラックを聞いてみて、フィギュアの世界に新しいトピックを持ち込める機会だなと」

2人の意見は一致し、試合のプログラムとして取り組もうと決めたという。

「多くのジャッジの人が作品の事を知らないとは思ってましたが、物語の背景がなくても要素を積みあげて良いプログラムにできる確信はありました。曲自体の力強さと意味深さがあり、世界観を氷の上で演じられると思ったんです」

落とし込んでいく作業でまず考えたのは、2人の関係性だった。物語は兄妹愛を描く。私生活でもカップルの2人には、逆に難しかった。そこでまずはジャクスが大好きなキャラクターの胡蝶しのぶを演じることに。ガリが説明する。

「彼女のこだわりは羽織ですね。正直に言って、かなり大変でした。素材が特別なものだったので、ネットで最良のものを探しました。羽織姿の様相を保つのにはいくつか難しい部分もありましたが、デザイナーと相談し、氷の上でも動きやすく適したものができました。見ている人の期待に応えられると良いのですが」

次に関係性を考えた。今度はジャクスが答えてくれた。

「作品ではしのぶの恋愛の話はありません。ガリは富岡義勇のキャラクターが似合うと思ったのですが、恋愛関係にはない。そこで男性は『鬼殺隊』の匿名の男性のイメージにして、観客の方の想像に任せることにしました」

出来上がったのが、アイスダンスのフリープログラム「鬼滅の刃」だった。

日本でいち早く、コスプレ衣装で「鬼滅の刃」の動画を撮影したプロフィギュアスケーターの林渚さんに聞くと、「日本のアニメ曲を海外の選手が使ってくれることが純粋にうれしいですし、衣装もそのまま表現されてて、感激でした」と歓迎。「シングルやペアだと、ジャンプの点数比重が大きいため衣装も軽量化されますから、なかなかあそこまで再現できないと思うので、ステップの種類も豊富なアイスダンスという競技で見られたことも良かったです」と解説してくれた。

アニメ×フィギュアスケートという交流は現状では多くはない。エキシビションでは見られても、競技会のプログラムとしては使用される機会は少ない。エキシビションで胡蝶しのぶを演じながら滑った経験を持つ本田真凜は、「いいですね!」とオランダ組の挑戦を喜んだ。自身もアニメの使用曲をプログラムにできないか検討したことがあり、「どんどん増えてくれたら」と望んだ。

「鬼滅の刃」をテーマに滑るジャクス(左)とガリ(本人提供)
「鬼滅の刃」をテーマに滑るジャクス(左)とガリ(本人提供)

14年世界選手権銀メダリストで、現在が国学院大助教の町田樹さんは、その著書「アーティスティックスポーツ研究序説」で、フィギュアスケートを含む、スポーツとアートが合わさったアーティスティック・スポーツ(AS)の特徴をこう書く。

「ASのプログラムは、様々な芸術分野の創作物から影響を受けたり、あるいは舞踏の動作を振付に引用したりすることで創作される」

ジャンルで挙げられるのは音楽、演劇、舞踏、オペラ、ミュージカル、映画など。その上で指摘する。

「芸術分野で生産される通常のプロダクトと比較してみても、相対的にASには、はるかに多くの芸術ジャンルへと繋がる窓口が開いていると考えられるのではないだろうか」。

他分野のアートを2次創作するのがフィギュアスケートの特徴であり、その潜在力を肯定的に評価する。漫画は特に同人誌などによる2次創作が当たり前のジャンル。オランダ組が、2人の関係を観戦者の想像に任せたのはまさに漫画的で、興味深い。

今季は日本人スケーターでも、18年平昌五輪代表の田中刑事がアニメ映画「シン・エヴァンゲリオン」をテーマにし、意欲をみせる。

「僕がファンです。作品を表現するには2分半では足りない。あの曲調をどう表現するかを目標に滑っています」

オランダの2人も、熱い思いで挑む。

「ここ数年はケガやコロナ禍と戦ってきました。ワルシャワでのパフォーマンスには満足できません。このプログラムを今季、最高の形で皆さんにお見せできるようにしたいです」。

一過性の話題ではなく、1つの競技の可能性を示す存在として、残りシーズンの演技を楽しみにしたい。【阿部健吾】(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「We Love Sports」)