京都の木々は鮮やかに色づきつつあった。

夕暮れ時。スタジアムから出る。車窓から街並みを眺めながら、古希を過ぎた大西健がつぶやく。

「いい試合やった。これでいい。何より、同志社が本気になってくれた。目の色を変えて向かってきてくれたことが、うれしかった。これこそが“伝統の一戦”というもんや。なあ、そう思わんか?」

2019年に監督を退くまで、半世紀近くも京産大を率いてきた人の言葉である。

試合が終わり、整列する同志社大(手前)と京産大のメンバー(撮影・益子浩一)
試合が終わり、整列する同志社大(手前)と京産大のメンバー(撮影・益子浩一)

11月6日、碁盤の目の北にある宝ケ池球技場であったラグビーの関西大学Aリーグ。4戦全勝の京産大は、ここまで2勝2敗と苦戦が続く同志社大と対戦した。

関西で鎬(しのぎ)を削ってきた両校の対決。ただ、例年とは構図が少し違った。

過去、最も日本一に近づいていると前評判の高い京産大に対し、同大は上位対決を前に取りこぼしが目立った。今季全敗の関大とも26-25の1点差で辛うじて敗戦を免れたほどで、自信を失いつつあるようにも見えた。

京産大の圧倒的優位。

それが周囲の見方だった。

しかし、長年のライバル対決は見えない力が働く。

矜持(きょうじ)とでも言うのだろう。学生生活の4年間だけではない。何十年もの歳月を重ね、脈々と受け継がれるものがある。

それが「伝統」となる。

前半はある意味で予想通り。京産大が4トライを奪って24-7とリードする。

同大が予想を覆したのは、後半からだった。

開始直後のノーホイッスルトライを皮切りに、3連続トライでついに26-24と勝ち越しに成功する。

後半30分すぎのことである。ロスタイムを含めても、残り10分ほどだった。

誰も予想すらしなかった展開に、8割方埋まった宝ケ池の観客は総立ちになった。

勝てる-。必死の戦いの中で、そう感じたのは同大であった。

まずい-。これは絶対的優位だったはずの、京産大の選手の脳裏をかすめた思いである。

最後は勝ち越しを許した2分後、途中出場した京産大のニュージーランド出身の大型FWヴェア・タモエフォラウ(3年)がモールを起点に逆転トライを挙げる。31-26。

留学生がいなければ、金星と呼ばれる試合になっていたに違いない。

開幕から京産大は大差がつく試合が続いていた。その中で、後半に失点が多いという課題があった。

それは勝利の余韻の中で、見逃されてきたものでもあった。

「これでいい、これでいいんや」

そう繰り返した後に、大西は続けた。

「大切なことを、同志社が教えてくれた。これまで、競ったゲームがなかったからね。まだまだ成長しないといけないということや。ここで変わらなければ日本一には、とうてい届かない。私が言わなくても、これで広瀬も分かったやろう」

監督を退いてからというもの、練習に顔を出すことはなくなった。後を受け継ぐ教え子の広瀬佳司(元日本代表SO)を尊重し、口をはさむこともしない。試合会場には顔を出しても、終われば選手に「よう頑張った」と声をかけては、すぐに帰宅する。

優勝候補の京産大を土俵際まで追い詰めた同志社大のメンバー(撮影・益子浩一)
優勝候補の京産大を土俵際まで追い詰めた同志社大のメンバー(撮影・益子浩一)
京産大を土俵際まで追い詰め、得点板を見つめる同志社大の宮本監督(中央)
京産大を土俵際まで追い詰め、得点板を見つめる同志社大の宮本監督(中央)

試合後の記者会見場。

今季から同大の監督に就いた36歳の宮本啓希の目は赤く、今にも涙があふれそうだった。

「選手たちが自ら動いてボールを動かし、果敢にアタックをしてくれた。素晴らしい集中力で、やってきたことを全て遂行できました」

名門復活の使命を担いながら結果に結びつかず、苦悩の日々を過ごしていた。

前節の関学大戦(10月30日)。後半ロスタイムに逆転トライを許して34-38で敗れても、同大には悔し涙を流す選手すらいなかった。

それから1週間後。京産大を土俵際まで追い詰め、あと1歩で勝利を逃すと、梁本旺義主将(4年)らは涙を流して悔しがった。

京産大に惜敗し悔し涙を流す同志社大のメンバー(撮影・益子浩一)
京産大に惜敗し悔し涙を流す同志社大のメンバー(撮影・益子浩一)

ようやく同大は目覚めた。

そして初の日本一を目指す道の途中にいる京産大もまた、目を覚ましたのである。

関西では20日に5戦全勝の京産大と天理大が、優勝をかけた大一番を迎える。(敬称略)【益子浩一】