扉を開けると、すぐ目につくところに1枚の色紙が飾ってある。

 「度胸」

 真っ白な紙に書かれた文字を毎朝、必ずジッと見つめる。片時も忘れることがないように、胸に刻んでから家を出る。上田桃子の1日は、そうやって始まる。

 ゴルフの指導を受けていた荒川博さん(享年86)から「王に会わせてやる」と言われたのは、昨年12月に息を引き取る1カ月前のことだった。元プロ野球巨人打撃コーチで、王貞治氏に「1本足打法」を教えた荒川さんの紹介で、昨秋、初めて顔を合わせた。「私に、ひと言お願いできませんか」。上田がそう伝えると、王氏は少し考えてから「度胸」と記したのだという。

 「本当は王さんはその言葉を書くつもりじゃなかったんだと思います。普段はサインに『気力』と書くみたいなので。私がお願いしたから、それが私へのメッセージなんだな、と。うちには仏壇がないので、家を出る時と、家に帰ってきた時には、必ず手を合わせています」

 10月19日に兵庫・マスターズGCで開幕したNOBUTAグループ・マスターズGCレディース。その第1日にクラブハウス2階にあるレストランを出た上田は、片隅に飾ってあった色紙にふと目がいった。自室にあるのとよく似たサイン。よく見ると、王氏のものだった。そこには「気力」と記してあった。全国を転戦するツアープロは、自宅を離れる日が多い。偶然にも目にした1枚の色紙で、あらためて、自らの指針を再認識することができた。

 「いろんなことを考えてしまっていた中で、あの言葉がパッと浮かんできたんです。最後はここ(気力)なんだな、と。私が頂いた言葉(度胸)も、年齢を重ねれば重ねるほど、なくなってしまうもの。すごく大事にしているものなので、それを大会の初日に気付くことができたのは大きかった」

 まさに「気力」と「度胸」で今季2勝目を手にした。第1日は73で1オーバーの43位と出遅れながら、第2日に65を出して3位浮上。台風による22日の最終日中止で、結果的に命運を分けたのは、第3日の最終18番だった。勢いに乗る18歳の畑岡奈紗との首位争い。強い雨の中でチップインバーディーを奪い、畑岡がボギー。下位から諦めない「気力」と、土壇場で突き放す「度胸」。王氏の金言があったからこその勝利だった。

 強い雨が窓を打ち付ける朝。優勝会見を終えた上田は、クラブハウスの廊下を足早に歩く。ふと、王氏のサインの前で立ち止まった。しっかりと目に焼き付ける。

 「私は分からなかったけれど、(荒川)先生は分かっていたんでしょうね。だから(王氏に)会わせてくれたんでしょうね」

 そうつぶやくと、台風が近づきつつあるコースを、後にした。【益子浩一】