怪物には悩みがある。3日、ダンロップスポーツ東京オフィス。米ツアーの新シーズン開幕に備えて渡米する松山英樹(22=LEXUS)は、昨シーズンの最終戦以来3週間ぶりに公の場に姿を現した。伸びていた髪も短く切り「ゆっくり休めました」と笑顔。会見終了を告げる同社広報の声にも「え、もういいの? 大丈夫?」とメディア側を気遣う余裕もあった。

 そんな松山が、いすに座った姿勢をわずかに直して、言葉を選んで話しだした場面があった。「ケガはしたくないです。まあ今の状況なら、去年よりももう少しできるかもしれないけど…。いずれにしても、もう少し考えたいです」。米ツアー開幕シリーズ4試合が終わった後の、国内ツアー戦への出場予定について問われた際の答えだ。

 今季から国内ツアーは、米ツアーなど海外を主戦場とする選手にも、一律5試合の出場義務を設けた。米ツアー参戦1年目の松山は、従来の規定なら国内ツアー戦の出場義務を免除されていたが、やはり5試合がノルマになった。これを満たさなければ、13年賞金王で5年間シードを持つ松山でも、翌年1年間は出場資格を剥奪される。

 昨季米ツアーではルーキーながら1勝した松山は、年間ポイント上位30人のみが出場できるプレーオフ最終戦、ツアー選手権まで勝ち残った。その結果、終盤戦は7連戦となり、7月の全英オープンから続く海外遠征は3カ月に達した。

 しかも毎週、相手は世界トップクラスぞろいで、コースも世界屈指の難度。常にアクセル全開でないと、互角には戦えない。若い松山でも、さすがに疲弊しきった。だから今季開幕までわずか3週間のオフを、試合に出場せず休養に充てた。国内ツアーの出場数は、1試合(7月のセガサミー杯)のままになった。

 これにより、ノルマの残り4試合を消化するためには、まず11月第2週のHSBCチャンピオンズ(上海)から帰国後、無休で第3週の三井住友VISA太平洋マスターズに出場しなければならなくなった。

 米国、マレーシア、中国と時差と太平洋をまたいだ転戦の直後、すぐに試合に出るのは過酷だ。さらにここから、国内ツアー最終戦の日本シリーズJT杯まで、休まず4連戦する必要もある。それでギリギリ、出場義務を果たせる。そんな“死のロード”は、昨年の悪夢も思い起こさせる。

 松山は国内ツアーとの掛け持ちをしながら、スポット参戦で米ツアーの賞金シードを獲得した。そして9月、優勝したフジサンケイ・クラシック、そしてANAオープンに出場した後、休みなく米国に向けて旅立った。世界選抜の一員として、米国選抜との団体戦、プレジデンツ杯に出場。さらに米本土で13-14年シーズン開幕2連戦を戦い、さらにはアジアシリーズ2試合にも臨んだ。

 結果、若い肉体も悲鳴を上げた。背中と左手首の痛みで、プレー自体もままならなくなった。13年中の米ツアー4戦中、出場回避と棄権で2戦を棒に振った。それでも帰国後、休みなく国内4連戦にエントリー。カシオ・ワールドオープンでは4勝目を挙げて国内賞金王も決めた。しかしその代償で、左手首のケガは取り返しがつかないほど、悪い状態になった。

 完治に半年。しかも、後遺症も深刻だった。9月の昨季最終戦、ツアー選手権を終えた松山は、ルーキーイヤーを「まったく満足できない」と振り返った上で、めずらしくこぼした。

 松山 ケガの影響があって、知らぬ間にかばって打つようになっている。ケガ自体が治ったのに、スイングにそういう動きが入っているのはすごくショック。修正しようと思っても、なくならない。

 1年たっても、いまだに後遺症に苦しんでいる。強行日程は、松山にとってもはやトラウマとなっている。そもそも米ツアー開幕から5カ月もたった今年3月から、急に新ルールを適用するというのは、あまりにも強引だったように思う。無理に出場義務数を達成する必要があるのか、はた目にみても疑問が残る。

 実は基準は非常にあいまいだが、新ルールは「理由を精査した上での免除」の可能性も示している。しかし松山は日本ツアー機構の幹部が「ルールは守るべき」「国内ツアーがあるから今があるということを忘れるな」と言及したことを伝え聞き、重く受け止めているという。

 そう言われるまでもなく、松山は国内ツアーには恩義を感じている。実際には国内ツアーの出場権を剥奪されても、痛くもかゆくもない立場だ。たとえ完全に日本のシード権を失ったとしても、国内ツアー戦の主催者は松山の出場を望むだろう。今年の日本オープンに出場するアダム・スコットらのように「招待選手」として来日する形になる。

 出場するだけで出場給を受け取れる招待選手は、シード選手より厚遇とも言える。しかし松山は、そうしたことを望んではいない。日本のゴルフに恩義があるからだ。だから幹部の言葉に悩み、心を痛めている。

 国内ツアーには、国内ツアーの事情もあるのは分かる。しかし松山はただ単に、世界で最もレベルが高い米ツアーで、日本人の代表として、ベストを尽くしたいだけだ。志も高く、前途も有望な若者を、もう少し気持ちよく送り出すやり方はないだろうか。

 サッカー担当記者時代を思い出す。現行の欧州チャンピオンズリーグで日本人初のゴールを、マンチェスターU相手に決め、セルティックの英雄だった中村俊輔は「でも、力が衰えないうちにJリーグに戻ってプレーしたいと思っている」と話していた。快く欧州に送り出してくれた横浜のクラブ、サポーター、そして日本のサッカーファンに恩義を感じていたからだ。

 その言葉通り、中村俊は横浜に戻り、昨年はJリーグMVPの活躍をみせた。加入直前は年間38万人弱だったホーム集客も、昨年は同46万7425人まで伸びた。日本のサッカー界が欧州に若くて有望な選手を多く送り出し、世界の中での地位を向上させているのは、こうした土壌ができているからだと思う。

 松山が米ツアーで活躍し「海外メジャー制覇」という目標を達成することは、長期的にみて日本のゴルフ界にとって大きなメリットを生むのは間違いない。そしてプロスポーツには、採算性と背中合わせに、社会的な意義というものもあると思う。世界に羽ばたこうとする人材を、結果的にルールでしばることになってしまえば、国際化の流れにさからうことにもなる。それは国内ツアーを支援する企業にとっても、イメージ的に決してプラスにはならないのではないだろうか。

 4日未明、羽田空港。松山はひそかに悩みをかかえながら、新シーズンの米国に向けて、機上の人となった。世界最高峰の米ツアーと国内ツアーの掛け持ちは、口で言うほど容易ではない。今季はすでに5試合出場を果たした石川遼も、このままではいずれ、同様の悩みを抱えて飛ぶことになるだろう。彼らがかつての中村俊のように、気持ちのいい形で世界に向けて送り出される日が来ることを、願ってやまない。【塩畑大輔】