渋野日向子(20)が日本女子プロゴルフ界の「呪縛」を解き放った。

42年の「空白」に終止符を打った。樋口久子が77年全米女子プロ選手権を制して以来のメジャー優勝。これまでに岡本綾子、宮里藍らが米国に腰を据えて戦い、何度も手元まで引き寄せながらつかめなかった栄冠だった。それだけにゴルフ界にとっては大きな意味を持ち、令和とともに新時代に入ったことを印象づけた。

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日本女子ツアーが試合数でも人気面でも年々成長する中、足りなかったのが、日本選手のメジャー優勝だった。女子プロスポーツが限られていた42年前、樋口の快挙は国民的な「チャコ・フィーバー」となったが、その後、日本選手とメジャーは近くて遠い関係が続いた。

岡本は米女子ツアー通算17勝、87年には賞金女王になった。同年全米女子オープンは荒天のために6日がかりの死闘。最終ラウンドの13番で1メートルのパットがスパイクマークではねて外れて、プレーオフにもつれ込んで敗れた。91年全米女子プロでは最終日の18番、思い通りに打った6メートルのフックラインが最後に右に切れて及ばず。いったんコースを引き揚げた後、気持ちを整理するように誰もいなくなった18番グリーンに戻り、同じ場所から打ってカップに沈むのを確かめたという逸話がある。

宮里はメジャー優勝という目標を明確に掲げて戦い続けた。17年に引退する前の数年間はパットに悩み、不振に陥りながらも、米女子ツアーにこだわったのはそのためだ。10年には世界ランク1位まで上り詰めながらも、悲願に届かなかった。岡本は84年全英、宮里は09、11年のエビアンに勝ったが、いずれも大会がメジャー昇格前だった。

実力があっても、縁がなかった。経験を重ねるほどにメジャーの怖さを知り、重圧は膨らむ。韓国勢が次々とメジャー制覇する中、日本の第一人者としての責任感ものしかかったはず。その意味で渋野の場合、若さが魔物を上回り、失うもののない強さが運を呼び込んだのかもしれない。

昨年は、畑岡が全米女子プロで2位。日本女子プロ協会の小林浩美会長は「令和の目標はメジャー優勝者を出すこと」と4月に語っていた。小林会長もまた米ツアー時代に涙をのんだ1人だ。その思いに渋野が応えた形。このシンデレラ・ストーリーがいわゆる「黄金世代」を刺激し、その相乗効果が国内だけでなく、メジャー舞台にも広がることが期待できそうだ。【岡田美奈】