無名の存在だった渋野日向子(21)が、5月の国内メジャーでプロ初優勝を達成。それは決して偶然ではなく、実力は本物でした。2カ月に国内ツアー2勝目を挙げたのです。「渋野フィーバー」が起こった2019年。日刊スポーツでは「しぶこの足跡」と題し、31日大みそかまでの7回、WEB連載で今季の戦いを再掲載します(毎日正午掲載予定)。第2回は7月にあった新規大会・資生堂アネッサ・レディースで挙げた2度目の優勝です。

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ウイニングパットを決めると、渋野は右手でガッツポーズをつくった。七夕の日。資生堂アネッサ・レディースの最終日。勝負はイ・ミニョン(韓国)とのプレーオフまでもつれた。

18番、グリーン左からの第3打を、ウエッジでふわりと高く打ち出すとピンそば1メートルにぴたりとつけた。今オフ、鹿児島・種子島合宿で何度も練習したショットを大一番で披露。ダブルボギーだったイ・ミニョンとは対照的にパーで締めて2勝目。観戦した母伸子さんに成長した姿をみせた。「(母と)優勝を分かち合えるのは本当にうれしい」と笑みがはじけた。

後半14番終了時点でイ・ミニョンとは4打差あった。完全な相手ペースだったが、15番パー4で空気を一変させた。15メートルのバーディーパットを沈めると、重圧をかけられたイ・ミニョンが崩れてダブルボギーで1打差に迫った。続く17番では、今度は2・5メートルを決め追いつき、逆転劇のお膳立てが整った。

最終18番グリーン上。渋野は、バッグを担いでくれた門田キャディーから告げられた。

「妻は強い人だった」-

1月24日に亡くなった妻和枝さん(享年44)への思いだった。

その言葉が渋野の心を奮い立たさせてくれた。プレーオフ前に勇気をもらい、燃えないわけがなかった。

「奥さんのことはずっと思っていました。より一層、勝たないとと思って挑みました。勝てて良かった」

コンビ3戦目でつかんだ勝利を天国にも届けた。

プロ1年目で5月のサロンパス杯で初優勝した。目標を達成したことで、逆に目標を見失い調子を落とした。だが、指導する青木翔コーチの逆鱗(げきりん)に触れ自分を取り戻した。青木コーチは「ダメな自分も全部受け入れなさいと言った」。渋野は「素直にゴルフを楽しむしかない」と気づかされ、復調した。

この前の週まで、世界ランキングは日本勢7番目の81位。賞金を新たに加算し、この時点で、東京五輪出場の上位2番手以内がかすかに見えてきた。

「チャンスがあるなら(五輪出場を)つかんでいきたい」

遅れてきた黄金世代。だが、この世代では畑岡、勝に続く3人目の複数優勝をつかんだ。勢いだけではない。確かな自信が芽生えつつあった。

このわずか1カ月後-。世界を驚かせることになる。