女子ゴルフの今季開幕戦ダイキン・オーキッド・レディースが中止になった沖縄に、大学教授を目指す女子プロがいた。石原端子(まさこ)さん(54)は、沖縄大人文学部福祉文化学科の准教授だ。大学までゴルフの経験がなく、プロになり第一線を退いてから大学教授を目指す異色の経歴を持つ。スポーツ心理学でゴルフ界に恩返しをと研究を続けている。

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那覇市にある沖縄大の研究室には、入り口にゴルフバッグがいくつも置かれていた。本棚には研究書の中に、参考にしたゴルフマンガ「風の大地」の全巻も。「ゴルフをやめて次の人生を考えたときに、もう1回勉強しようと思いました。スポーツ科学の選択肢の中で、現役時代に本を読んで助けられたことがあったので、心理のドアをたたいてみようと思いました」と、石原さんは言う。

大学まで陸上の投てきの選手だった。鳥取県の由良育英高(現鳥取中央育英高)の2年の時に高校総体の砲丸投げで全国2位。鹿屋体育大でも陸上の選手として4年間を過ごした。卒業後の進路を考え始めたときにたまたまテレビで87年全米女子オープンのプレーオフで惜しくも優勝を逃した岡本綾子のプレーをみた。「これやってみようか」とプロゴルファーになることを決意した。

大反対する両親を「3年でだめだったら」と説得し、大学教授のつてで千葉・オークヒルズCCの研修生となった。同期には男子プロでツアー3勝の丸山大輔がいた。ゴルフ場の仕事はまかない付きで月2万。3年の約束が、94年のプロテスト合格まで6年かかった。

6年の修業とはいえ、すぐに勝てるほどプロの世界は甘くない。コーチをつけることもなく、独学で戦った。「こんな背景の選手にはチャンスはそんなにない。でもチャンスが来たらつかまえられるように準備しておこう」。第一線で活躍した約10年、下部ツアーで1勝、98年9月のフジサンケイ・レディースでプレーオフを制して初勝利を挙げた。

優勝はわずか2回だが「指導者がいなかったことを考えたら、2回も優勝できてよく頑張ったと思う」と振り返る。当時の生活を通じて実感したことは「陸上は自分の体が資本で練習すれば記録はある程度ついてくる。だけど、ゴルフは練習しても結果がついてこない。頑張ってもうまくいかないことをゴルフから学んだ」という。

トッププロから退いた後は、大体大の大学院で学び、沖縄大でスポーツ心理学やイップスを研究。さらに「心に関わるゴルフの特性が教育に役立つ」と、ジュニアからの育成に力を入れる。ゴルフ界への恩返しはスポーツの価値を伝えられる人材を多く送り出すことだ。【桝田朗】

◆石原端子(いしはら・まさこ)1966年(昭41)1月13日、鳥取県東伯郡生まれ。由良育英高、鹿屋体育大では陸上の投てき種目で活躍。大卒後22歳でゴルフを始め、94年プロテスト合格。95年の下部ツアー、RNCレディース・ハリマカップ優勝。98年のフジサンケイ・レディースでツアー初優勝。賞金ランクはその年の41位が最高。03年を最後に第一線を退き、大体大大学院から沖縄大で准教授。