政府の緊急事態宣言が延長され、スポーツ界も「自粛」状態が続いている。

日刊スポーツの記者が自らの目で見て、耳で聞き、肌で感じた瞬間を紹介する「マイメモリーズ」。サッカー編に続いてオリンピック(五輪)、相撲、バトルなどを担当した記者がお届けする。

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まあまあ長く、ゴルフを担当している。ざっと合計で15年。最初の取材が96年秋のダンロップフェニックスで、尾崎将司が通算100勝を達成した。決勝ラウンドまで、尾崎が会見で口にする「PS」がピッチング・サンドと分からず、他紙の後輩に尋ね「知らずに原稿書いてたんですか?」とあきれられた。

担当歴が長い割に、歴史的瞬間にはあまり立ち会っていない。宮里藍、石川遼のアマチュア優勝からの大ブレークは、デスクをしていて外した。昨年の渋野日向子の全英女子オープン優勝時は相撲担当だった。

要は持っていない。なので、記憶に残る最も印象的な場面も、ちょっと変かもしれない。タイガー・ウッズの“裏の顔”だ。

2000年8月24日、米オハイオ州アクロンにあるファイアストーンCC。WGCシリーズのNECインビテーショナル(今のブリヂストン招待)でウッズは首位スタートを切った。前週の全米プロで優勝し、その日も2番パー5でベタピンのイーグルを決め、6アンダーの64(パー70)。ウッズは囲み取材後、打撃練習場へ。十数人いた現地メディアは後を追わなかったが、私は追っかけた。英語がほぼできないから、囲みのコメントもよくわからない。ならば、見られる限り見ておかないと原稿を書けない。仕方なしの“単独取材”だったが、結果的に思わぬシーンに出くわした。

打撃練習場は無人だった。出場選手が世界ランク上位者ばかりの37人と少なかったせいもある。ギャラリーの姿もなく、私以外の記者もいない。

ウッズが現れた。当時のコーチ、ブッチ・ハーモンとキャディーのスティーブ・ウイリアムスが待つ打席にすたすた歩み寄った。そしていきなり、立ててあったキャディーバッグを蹴り倒した。横になったやつを、さらにボコッ、ボコッ、ボコッと3発。思えば、上がり3ホールで2ボギーをたたき、囲み取材で「仮に59を出しても、いいプレーを続けなければ意味はない」とこぼしてはいた。それにしても…商売道具を蹴るか? めちゃくちゃに。

1998年1月24日、タイのプーケットにあるブルーキャニオンCC。欧州ツアー開幕戦ジョニー・ウォーカークラシックの第3日も忘れられない。ウッズはパットに苦しみ、前日は34、この日は36パット。海越えの右ドッグレッグの13番パー4は約320ヤードをかっ飛ばし、1オンさせて3パットのパー…。16番で4メートルから3パットボギーをたたき、キレた。

17番ティーグラウンドに向かう途中の林の中、帽子で木を殴ってズタボロに破壊。そのせいで、すでに生え際が後退気味だった頭をさらし、残り2ホールをプレーした。ウッズの無帽プレーを見たのは、その時だけだ。

審判がいない。すべては自己責任。ゴルフは「紳士的なスポーツ」と言われるが、聖人君子ばかりじゃない。米ツアー史上最多82勝、メジャー通算15勝を挙げたスーパースターもやはり人の子。不倫スキャンダル、離婚などもあったし…。それでも、さすがと思うのは、2つの“事件”も公衆の面前でなく、人目を避けたガス抜きだったことだ。

ちなみに、ウッズは2試合とも優勝した。【加藤裕一】