国内女子ゴルフのツアー開幕戦となるアース・モンダミン・カップ(賞金総額2億4000万円)は25日から4日間、千葉県のカメリアヒルズCCで無観客で開催される。今季から米ツアーに参戦する河本結(21=リコー)も出場し、開幕戦後に再渡米する。世界の頂を目指す河本には「人生を変えた日」がある。日刊スポーツのインタビューで、どん底からはい上がった過去を明かした。

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あの日を思い出すと、今でも胸が張り裂けそうになる。今季、河本は米ツアーに軸足を置きつつ可能な限り国内ツアーにも出場する。これから多忙な生活が始まる。開幕を目前に控えた6月中旬。インタビューに応じた彼女が語ったのは「人生を変えた日」だった。

「あの出来事があったから、ゴルフに対する、向き合い方が変わったんです。1日、1日をすごく大切にするようになった。あの情けなさは一生忘れません」

17年11月28日。朝から兵庫・有馬CCの駐車場にいた。車の中で、隠れるようにしていた。その日は、翌年のツアー出場順位を決めるファイナルQT(予選会)の第1日。出場権はなかった。前週にあった第3QTの最終日、最終ホール。約1メートルのパットを外した。その1打は、次のステージへの扉を閉ざした。

44人が通過したB地区(西日本)で47位。ケガなどによる欠場者が出れば、当日に出場権が転がり込む。わずかな可能性はあった。

母みゆきさん、石川遼らを支えたキャロウェイのベテラン担当者も「まだチャンスはある」となだめた。だが、河本は嫌がった。

「絶対に待たん。私は(故郷の)愛媛に帰る」

その頃から、98年度生まれの黄金世代と呼ばれる同学年が活躍。これ以上、みじめな思いをしたくはなかった。説得され、なんとか残ったが、出番は来なかった。最終組が出て現実を知ると、車の中で泣いた。

「その年の夏に同い年の子たちはみんなプロになっていました。私は大学進学(日体大)を選んでプロテストは受けずにQTにかけていたんです。悲しいとか悔しい気持ちを通り過ぎて、情けなかった。駐車場で待っている間、みんなに姿を見られて『結ちゃん、何でここにいるの?』って。そう思われるのも嫌でした。ゴルフを辞めたかった」

兵庫から愛媛へと戻る車中、いつまでも泣く娘に、母はこう語りかけた。

「泥水を飲む悔しさを経験した人は、強くなれる。ここからはい上がろうね」

翌18年、河本の舞台は下部ツアーしかなかった。同じ黄金世代が脚光を浴びる一方で、気持ちを切り替えるには時間がかかった。

「みんなはレギュラーツアーで活躍していた。私は、テレビに映らないステップアップツアーで戦う選手でした。どれだけ悩んでも、現実は変わらない。じゃあ、今はステップだけれど、私は突き抜けてそこで1番になればいい。そう考えるようになったんです」

その年、下部ツアーで4勝を挙げて賞金女王になった。19年にはレギュラーツアーに本格参戦しプロ初優勝。今季から幼少時代からの夢だった世界の頂を目指し、米ツアーへ挑戦する。

「世界のナンバーワンになりたい。コロナの自粛期間でたくさん準備ができたので、早く試合で戦いたいです。東京五輪の出場権を目指すことも、私のゴルフ人生を豊かにしてくれる」

あの涙で覚悟が芽生えた。いよいよ20年シーズンが開幕する。願いはただひとつ。誰よりも、もっと、強くなりたい-。【益子浩一】

河本は国内ツアー開幕戦後、7月上旬に再渡米する。中断している米女子ツアーは、7月31日開幕のドライブ・オン選手権(オハイオ州)から無観客で再開し、翌週のマラソン・クラシック(同州)と続く。現在、アメリカ入国時には宿泊先で14日間の待機が求められており、河本は「室内でできる体幹や素振りをしながら試合に向けて仕上げたいです」と話した。米ツアーでの連戦に備え、自粛期間中に腰に負担がかからないスイングに改良。食事制限で体重は4キロ落とした。米本土で2試合こなした後、全英女子オープン(8月20日開幕)が通常開催されれば、欧州に渡る予定だ。

◆河本結(かわもと・ゆい)1998年(平10)8月29日、松山市生まれ。5歳で競技を始め、松山聖陵高を経て現在は日体大体育学部4年。18年にプロテスト合格。同年のステップ・アップ・ツアーは12試合出場で4勝し、賞金ランキング1位。19年からレギュラーツアーに本格参戦し、3月のアクサ・レディースで初優勝など賞金ランキング6位。趣味は映画観賞、カラオケ。163センチ、58キロ。