マスターズ=名手たち-。1936年に日本選手が初めてマスターズに挑戦して以来、日本の名手たちはさまざまなドラマを演じてきた。グリーン・ジャケットを着ること以外は…。

73年、尾崎将司は通算1オーバーで8位となり「ベスト10入りは満足だけど、オーバーじゃ…」。78年、中嶋常幸は13番パー5でクリークに2度つかまって「13」の大たたき。他のメジャーでも、80年全米オープンでは青木功がニクラウスと4日間同組で戦い2位に終わった。86年全英オープンでは、中嶋が最終日最終組を回って8位だった。

かつてマスターズは主催者による完全招待制で、日本ツアーの賞金王は招かれるのが慣例。日本ツアーも元気で、試合も賞金も豊か、海外ツアーにフル参戦する選手も少なかった。だからメジャーはスポット参戦が主となり、コース内では芝質やコース設定の違い、コース外では言葉や壁や習慣の違いに、本来の力が出せなかった部分がある。

時代の流れや情報の増加、ウッズの登場もあって、日本選手の海外指向が高まっていった。メジャーの出場資格に世界ランクも導入された。00年から丸山茂樹が米ツアーに本格参戦。01年マスターズでは伊沢利光が初出場で4位になった。チャンスさえあれば、スポットだろうとフル参戦だろうと米ツアーに挑もうとする空気があった。順位こそ5位だが、02年全英オープンの丸山茂樹は優勝したエルスと1打差(4人プレーオフ)で、メジャー優勝に最も近かったといえる。

さらに若い世代は、ゴルフを始めた時から海外ツアーの情報に接している。丸山もメジャー制覇を目標に米ツアーで戦ったように、宮里藍が米女子ツアーにこだわり続けたのは、メジャーで優勝するためだった。石川遼や松山も同じ。かつてのように、日本での立場を確立してから米国に渡るというより、なるべく早く米ツアーに挑んでなじみ、それがメジャー制覇への近道だと判断したのだろう。

時代や環境に恵まれた部分もあるともいえるが、当然、世界中からトップ選手が集まる現在の方が競争も激しいのは確かだ。【岡田美奈】

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