ザンダー・シャウフェレ。男子ゴルフの米ツアーに詳しくない人でも、最近、どこかでその名を耳にした人も多いかもしれない。最新の世界ランキングで5位。27歳の米国人だ。

松山英樹が、日本人で初めてメジャーを制覇したマスターズでは、松山と第3ラウンドと最終ラウンドの2日間を同組で回った。特に最終日は最終組で、松山が首位、シャウフェレが2位からスタート。優勝ほしさに、目の前のライバルの集中力をそぐような行動を取る選手もいると聞いたことがあるが、シャウフェレは最後まで正々堂々と、クリーンにプレーした。

3位に終わった最終日のホールアウト後は「ヒデキはすごい。ミスのない素晴らしいプレーで、王者の戦いぶりだった」と、松山をたたえた。メジャー無冠の自身も、のどから手が出るほどほしいタイトル。全米オープンは17年5位、18年6位、19年3位、20年5位と、4年連続でトップ10入りを継続中だが、頂点には立てていない。全英オープンは18年2位、全米プロ選手権は20年10位。マスターズでは、伝説的なタイガー・ウッズ(米国)の14年ぶり復活優勝となった、19年に2位となっている。

そして今年もまた、優勝には一歩届かず、主役にはなれなかった。最終日の後半には15番まで4連続バーディー。15番パー5では、松山が第2打を池に入れるほど重圧をかけ、2打差と迫った。だが16番パー3で「ホールインワンするつもりで打った」と、攻めたティーショットが池に入り、痛恨のトリプルボギーで脱落した。「プレッシャーをかけるつもりだったのに、勝ちを献上してしまった」。結果的に3位だったが、間違いなく松山を最も苦しめた選手であり、松山を最も助けた選手でもあった。

実はシャウフェレの祖父母は都内に住み、母は日本で育ち、日本語も堪能な台湾人だ。父方の祖父母はフランス人とドイツ人で、父は陸上の10種競技で活躍したという異色のルーツ。日本語も少し話せるといい、第3ラウンド終了後には「ここでは言えない悪い言葉で冗談を言い合った。最高に楽しかった」と明かした。松山も「日本語の冗談を言ってくれたりして、そこで笑ったりもした」と、以前は硬い表情でプレーすることも多かった中、今年のマスターズでは笑顔が多かった理由の一端を語っていた。

マスターズの決勝ラウンド2日間は、その時点での順位が近い選手が同組となり、2日間とも同じ選手と組むとは限らない。しかも2人1組で回るため、良い雰囲気で回ることができるかどうかは、もう一方の選手の言動が大きな割合を占める。その意味では、松山は2日連続で最高のパートナーに恵まれたといえる。

ただ、それも運命だったとばかりにシャウフェレは説明。第3ラウンド終了後に「ヒデキのプレーは素晴らしかった。ついて行こうと思った。伸ばすべき3日目に一緒にプレーできて良かった」と、笑顔で話した。65のビッグスコアをマークした松山に触発されたことが、自身の68の好スコア、さらには最終日最終組につながったと感じていた。

日本語が堪能な日系人と交際中で、試合以外にも祖父母に会うためなど、何度も日本を訪れている親日家だ。プロ転向後初戦も、15年6月に山梨で行われた日本ツアーのISPSハンダグローバルカップ。120位で予選落ちに終わり、日本人選手の高い技術への敬意は、ずっと抱き続けている。

178センチと大柄とはいえない中、世界ランキング上位をキープしているのも、パワーに頼らない日本人選手のプレーが、脳裏に焼き付いていることに由来するようだ。「日本は大好きだ」と常々話しており、メジャー重視の欧米トップ選手では珍しく、東京五輪出場が目標。現在は米国代表として五輪出場圏内にいる。

昨年12月中旬には、新型コロナウイルスに感染した。体調を崩したが、快方に向かう途中は病床で日本製のテレビゲーム、プレイステーションで遊びながら、本来の明るさを取り戻していったという。

マスターズでは19年がウッズ、今年が松山の引き立て役に終わった。それでも常に笑顔を絶やさない。米ツアー屈指のナイスガイで“名勝負製造器”。今夏の五輪では再び、松山と同組でプレーするのではないかと勝手に予感している。そうなった時は、シャウフェレがリベンジするのか、松山が返り討ちにするのか。ただ、間違いなく言えるのは、シャウフェレの優勝争いには後腐れはなく、すがすがしい結末が待っているということだ。

【高田文太】