岩田寛(40=フリー)が2打差逆転で6年ぶりのツアー通算3勝目を挙げた。

7バーディー、ボギーなしで今大会ベストスコア63をマークして通算12アンダー、198。東日本大震災から10年、東北福祉大の後輩でマスターズ覇者の松山英樹に刺激を受ける宮城出身の40歳が、米ツアー再挑戦の思いを胸に飛躍を期す。48歳の宮本勝昌が3打差2位だった。

  ◇  ◇  ◇

最終18番のグリーン奥ラフから平然と、20ヤードのアプローチをピン80センチに寄せた。岩田はパーパットを沈めた。「いつも回りから“ガッツポーズしろ”と言われるんで」。1組後ろの宮本と2打差。事実上のウイニングパットに、両手を腰あたりでグッと握った。不器用そうに笑った。

最終日に63。とても40歳と思えぬ力強さだ。首位と2打差を追い、1、2番でチャージし、5番で追いつき、14番で抜け出した。風速5メートル前後のコースで7バーディー。安定の第1打をベースに、グリーンを狙うショットは58度のウエッジが5度、ピッチングウエッジが1度、9番アイアンが1度。しかもボギーなし。伝統の和合コースを完全に制圧した。

「勝ってみれば、長くなかった」という6年ぶりのツアー優勝だが、雌伏の時はあった。昨年12月の日本シリーズは1打差2位。17番パー5で2オン3パットのパー、最終18番パー3でボギーという痛恨のV逸。「自分のミス。思い出したくない。何週間も(まともに)眠れなかった」というほど悔やんだ。

感謝があった。東日本大震災から10年。宮城・仙台市生まれで、空港にとめていた車を流された。よく回るコースからは、津波の来た場所が見える。自分を育んでくれた街に関わる人と気持ちは何ら変わらない。応援してくれる人たちが、自分のプレーを少しでも楽しんでくれるとうれしい。

喜びもあった。東北福祉大の後輩、松山英樹のマスターズ優勝。夜通しテレビ中継を見た。バーディーを取るたびに布団をバンバンたたいて応援した。「ヒデキは自分のゴルフ史上最高の選手。その彼が勝った。彼が勝てなかったら、誰も通用しない。勝って(ゴルフ界に)いろんな道を切り開いてくれた」。松山がコーチに選んだ目沢秀憲氏の動画を何度も見て、自分のゴルフの参考にした。

6年ぶりの優勝で道が開けた。16~17年に参戦し、跳ね返された米ツアーへの再挑戦。そのために、14年に自己最高63位となり、現在312位まで落ちた世界ランクを上げたい。40歳以降、3度の米ツアー賞金王になったフィジーのビジェイ・シン、12勝した藤田寛之が理想だ。「次の優勝に向け、明日からトレーニングです」。不惑の夢は揺るぎない。【加藤裕一】

<岩田寛の優勝クラブ>▼1W=テーラーメイド SIM2MAX(シャフト=グラファイトデザイン ツアーAD-PT7、硬さX、長さ45・25インチ、ロフト角9度)▼FW=同 M2(3W15度、5W18度)▼UT=キャロウェイ XフォージドUTアイアン(21度)▼アイアン=本間ゴルフ TR20B(4~10I)▼ウエッジ=タイトリスト ボーケイSM2(52度)同SM8(58度)▼パター=オデッセイ ホワイトホット2ボールブレード▼ボール=スリクソンZ-STAR XV

◆岩田寛(いわた・ひろし)1981年(昭56)1月31日、宮城県仙台市生まれ。ゴルフは14歳から。仙台育英-東北福祉大を経て04年プロ転向。06年に賞金ランク62位で初シード、14年フジサンケイクラシックでツアー初優勝。16年に米ツアーに参戦もシードを取れず、17年に国内ツアー復帰。師匠は父光男さん。177センチ、74キロ。