このページの先頭



ここから共通メニュー

共通メニュー


ホーム > スポーツ > 後藤新弥コラム「スポーツ&アドベンチャー」



後藤新弥の「スポーツ&アドベンチャー」

2007年2月13日更新

おやじ、ついに、サーファー!!乗ったぜ

初取材から35年、講義と陸トレ3時間、海に入って15分

 波が来た。夢中で両手をかいて加速した。おやじ60歳にしてサーフボードの上に立つ。おいっ、乗ったぜ! 生涯忘れられないエクスタシーだった。発祥の地鵠沼海岸(神奈川県)で初めてのサーフィンをプロの草分け小田天児さん(58)に習った。信じられないことに、海に出て、たった15分で岸まで滑った。波の高さ50センチ、滑走距離10メートル足らず。でもそれが何だ、おやじも今日からサーファーだ。



太陽の彼方

<歌詞>太陽の彼方 海上講習15分で、おやじもついにサーファーになった(亀田正人撮影)
<歌詞>太陽の彼方 海上講習15分で、おやじもついにサーファーになった(亀田正人撮影)

 <歌詞>乗ってけ乗ってけ乗ってけサーフィン 懐かしい「ゴールデンハーフの太陽の彼方」(72年)が頭の中で鳴り響いた。でも現実はかなり厳しい。何度も失敗すると<歌詞>落ちてけ落ちてけ落ちてけサーフィン に聞こえてくる。情けない。

 名人小田さんがショップ「コーストライン」(鵠沼海岸)の小口雄大店長(26)まで駆り出してくれて初体験を助けてくれるのだが、容易にボードに立ち上がれない。つんのめっては頭から落ちる。水を飲む。スノボと違って転んでも痛くないと安心していたら、ボードで太ももを強打した。サーフィンもやっぱり痛かった。



つい両足を前向きにそろえてしまう。
つい両足を前向きにそろえてしまう。

 72年の晩秋、冬のレジャーを書けといわれ、性格が素直なので外房のサーフィンを取材した。まだ草創期、ウエットスーツもないころだった。たき火に当たっては寒風の海に突撃していく少年たちが鮮烈だった。「あれじゃあチンポがちぎれっぺえ」。年配の漁師があっけにとられていた。

 ちぎれるかどうか、いつか内側からも真実を取材したいと思った。35年が過ぎた。小田さんから「初心者向きの波が続いている。来いよ」と連絡があった。ついにその日が来たのだ。

 ちぎれなかった。暖かい5ミリ厚のウエットだ。そもそも海に入る前にショップの2階で講義と陸トレを延々3時間。一挙動で立ち上がる練習で汗がぼたぼた落ちた。腹ばい状態から両足を横向きにして一気に立つべきを、良家の出なのでどうしても足を前向きにそろえる癖が出た。

 浜に出ると、ボードとくるぶしをひもでつながれた。何これ。「板を流さないように」。おれは質草か。



ふわり、行け

何度も失敗。一時は初日引退も覚悟したが、ついに…
何度も失敗。一時は初日引退も覚悟したが、ついに…

 海に入っても失敗を繰り返すこと15分。どうせ時流の波にも乗れない性分だとやけを起こしかけた次の波で、突然にタイミングが合った。波が来る。小口さんが「こいで、こいで」。懸命に犬かきで加速しながら、ふわりとボードが浮き始める瞬間を待つ。「行け」。体を丸めて、跳び上がるようにして立った。

 すすーっと進んだ。

 左手を水平近くに上げて進行方向を指す。まだ倒れない。無心で滑った。波の上に直接立っている感覚だ。波打ち際まで10メートル。へっぴり腰だがそのまま行った。やったのだ。

 陶酔感が体の中でこだまする。もっと、もっと。休憩の後、今度は1人で海に出た。無我夢中でエクスタシーの残像を追い掛けた。

 サーフィンに最も近いスポーツはゴルフではないか。まぐれ当たりでも「会心のショット」の衝撃は強烈だ。それをもう1度味わいたいという欲求がゴルフの核心的要素になっている。サーフィンもその点ではよく似た陶酔のスポーツだ。これからは脂ぎってクラブを振り回すゴルファーを、もう醜いとは思うまい。



未知の魅力が

陶酔感もさめやらぬ鵠沼海岸の昼下がり。小田さん(中)小口さん(左)と
陶酔感もさめやらぬ鵠沼海岸の昼下がり。小田さん(中)小口さん(左)と

 沖縄出身の衆議院議員小田天界氏(故人)が戦後西新宿で全東京新聞を発行していた。大学時代、学資稼ぎにそこでルポライターの仕事をさせてもらった。息子の小田さんともそこで知り合った。潮で茶色になった彼の長髪は注目の的だった。67年、ハワイのワイメアベイで6メートルの大波に日本人で初めて挑んだ伝説はあまりにも有名だ。

 「始めたのは15歳。ボードは今の価値で200万円以上した。コーチなんていないから皆が互いに見よう見まねで練習した。ベトナム戦争と重なり、米国では社会からドロップアウトしたサーファーも多かった。サーフィンにはスリルを求める若者をビッグウエーブに引き寄せる、新鮮で強烈で未知の魅力があった」。

 危険もあった。反面日本中どこへ行ってもサーファーはすぐ仲間になった。「連帯感が強かった。ぶつかってけがしても、競技ルールを持ち出して弱い者いじめするようなことはまずなかった」。プロ組織JPSAロングボード部門初代会長としても尽力してきた。



 まず保険に入ること。これが小田さん直々の講義の第1章だった。小口さんの技術指導も極めてシンプルだが厳しかった。頭の真下に重心を感じること。上体を垂直に保つこと。テークオフの前にひざを折って下肢を立てること。パドリングは手を前に伸ばさず、真下から後ろへかくこと。

 1人だと焦りが出て1度も立てなかったが、落ちるたびに何が悪かったか、自分で理解できた。闘志がわき続けて止まらなかった。結局乗れたのは介添え付きの2度だけだったが「年配の初心者ほど向上心がある」(小口さん)そうだ。

 夜。「今日は火曜日、まさしくおれのビッグウエンズデーだ」と、いつまでも興奮して眠れなかった。英語力もその程度であった。



 ◇サーフィン ポリネシアの波乗り遊びが起源。ハワイ出身のカハナモクがストックホルム、アントワープ両五輪の水泳100メートル自由形に連続優勝したのを契機に、20年代に米本土でも愛好者が急増。日本では60年代、加山雄三氏らの先駆けで始まった。



 ◇コーストライン スクール随時(マンツーマン)。用具は計12万円前後から。(電話)0466・34・1618 http://surfingschool.jp/



Thanks
 ご愛読に感謝申し上げます。すべてにご返信ができないため、整理の都合上、nikkansports.comの本欄、マスター及び筆者個人アドレスでは、コラム内容に関するご感想などのEメールは、現在すべて受付を中止しております。お詫び申し上げます。下記にご郵送ください。
 また、他ページ、フォーラムなどへの転載は、引用を含めて、お断りします。ご協力に感謝いたします。
 【郵送宛先】 郵便番号104・8055 日刊スポーツ新聞社 編集局 後藤新弥
プロフィル
後藤新弥(ごとう・しんや) 日刊スポーツ編集委員、60歳。ICU卒。記者時代は海外スポーツなどを担当。CS放送・朝日ニュースターでは「日刊ワイド・後藤新弥のスポーツ・online」(土曜深夜1時5分から1時間。日曜日の朝7時5分から再放送)なども。
 本紙連載コラム「DAYS’」でミズノ・スポーツライター賞受賞。趣味はシー・カヤック、100メートル走など。なお、次ページにプロフィル詳細を掲載しました。
【 詳細プロフィルへ >> 】


このページの先頭へ


+ -->