「21世紀最強ランナー」も、箱根駅伝では不安と格闘していた。中学時代から数々の新記録を樹立してきた佐藤悠基(24=現日清食品)は、東海大1年の06年から箱根史上3人目の3年連続区間新記録を打ち立てた。だが、完全無欠の快走の裏側で「足のけいれん」など数々の苦悩を抱えていた。天才ランナーが栄光の4年間を振り返り、本音を語った。

 「超新人」「新怪物」の異名は本当だった。06年の佐藤の箱根デビューはそれほど衝撃的だった。3区、11位でタスキを受けた19歳1年生は8人をごぼう抜きし、順位を4位まで上げた。95年に小林正幹(早大)が樹立した区間記録を37秒も更新。だが、心の中は不安だらけだったという。

 佐藤

 練習でも20キロを速いペースで走ったことがなかった。ペース配分も分からない。どれくらい余力を残して10キロを通過すればいいのか。15キロすぎたらどうなるのか。もう不安でしょうがなかった。

 前年に、佐久長聖高の1年先輩で1万メートルの高校記録保持者だった中大の上野裕一郎が1区でブレーキになったことも記憶にあった。不安で調子も上がらず、レース3日前の5キロ走も、普段より1分以上遅かった。

 佐藤

 調子が悪かったので、やけ食いしてました。体重が増えやすくて制限してたんですけど、普段の倍くらい食べて。監督からは「当日の朝の動きを見て決めよう。無理だったら代えるから」と言われました。でも当日に調子が良くなって。やけ食いが良かったのかな(笑い)。

 静岡・清水南中時代からエリート街道を歩んできた。中3の国体で3000メートルの中学記録を樹立。佐久長聖高2年の全国高校駅伝で4区区間新の快走で準優勝に貢献。3年時には1万メートルの高校記録を20秒も更新した。その怪物ランナーの真骨頂が、大学2年の箱根駅伝だった。

 1区の最初の2キロで後続に250メートルの大差をつけた。その後も異次元の走りで、94年に“怪物”渡辺康幸(早大)がつくった区間記録を7秒更新する1時間1分6秒。2位に4分1秒の大差をつけた。しかし、そのレース中も自分と必死に闘っていた。

 佐藤

 13キロすぎからは足がけいれんして。その後は、ふくらはぎがつる1歩手前で力をセーブする、ギリギリの走りでした。13キロすぎに一気にけいれんがきて、止まりそうになりました。けいれんしなければ1時間1分は切れたと思う。

 その後も足のけいれんに悩まされ続けた。同時に周囲の期待を感じて区間新を意識するようにもなった。そんな中で3年時は7区で、史上3人目の3年連続区間新記録を樹立した。

 佐藤

 けいれん対策で3種類のミネラル系のサプリメントを飲んでいました。ふくらはぎのサポーターとかも試した。それでもけいれんが出て、上りでペースを上げられなかった。だから区間新もうれしくなかった。出して当たり前だと思っていたし、思った以上にタイムが良くなかった。チームも(アンカーで)棄権したので、不満でした。

 4年時は右ふくらはぎや股関節、重なる故障の影響で苦しんだ。史上初の4年連続区間新が注目されたが、3区で自身が1年で樹立した記録に6秒及ばなかった。

 佐藤

 結局自分の記録も抜けずに、4年間進歩しなかったんじゃないか。タイムだけ見たら進歩なかったと思いましたね。4年間全部けいれんなんで、それがいまだに課題なんです。

 周囲には完全無欠の快走に見えたが、本人は箱根駅伝で100%満足したことは1度もなかった。そしてエース区間の「花の2区」を1度も走らなかった。しかし、そこに悔いはない。

 佐藤

 最近は3区も重要視されてきている。僕や早大の竹沢が走って、いい流れを作っているんで。2区はそんなに差がつかないんですよね。どこも強い選手をそろえてきているので。だからそれ以外のところでどう差をつけるかが重要になっている。

 現在24歳。長距離界のエースとして、再来年のロンドン五輪を控える。

 佐藤

 確かなのは箱根があったからいまのレベルにいられる。「箱根から世界」。そうなっていけたらいいなと思ってます。【取材・構成

 阿部健吾】