ホンダは5日、08年限りでF1から撤退すると発表した。都内の本社で会見した福井威夫社長は、金融危機による業績悪化を理由に挙げた。今シーズンの不振も原因の1つと考えられる。年間経費約500億円超といわれる経費の節減を図るとともに、F1関係の技術者を環境対策などの新しい研究開発に投入していく。オートバイの世界選手権シリーズや米国のインディカー・シリーズの活動は継続する。福井社長は来年、ホンダ系の三重・鈴鹿サーキットで3年ぶりに行う予定の日本GPは、「開催する」とした。

 報道陣約350人が駆けつけた会見の席上、福井威夫社長に苦悶(くもん)の表情が浮かんだ。若いころは自らもモータースポーツの技術開発に携わり「F1はホンダのDNA」と公言してきた。その口から苦渋の決断が絞り出された。「決断したのは前日です。成果を出せずに撤退するのは、悔しいし残念。ファンには申し訳ない。今でもやりたい気持ちはあるが状況が許さなかった」。自動車業界の加速度的な業績悪化に、ホンダもあらがうことはできなかった。

 ホンダは過去に第1期(64~68年=車体、エンジン全供給)、第2期(83~92年、エンジンのみ供給)とF1に参戦。特に第2期は世界的トップドライバーの故アイルトン・セナ氏、アラン・プロストを擁し、日本国内のF1ブームに火をつけた。88年にはホンダエンジンを搭載したマクラーレンが16戦15勝するなど黄金時代を築いた。

 その後、本業の業績悪化を理由にF1参戦を一時休止していたが、「若い技術者たちの情熱を抑えきれなくなった」ことなどを理由に、00年から第3期F1活動を再開。04年にはジェンソン・バトン、佐藤琢磨両ドライバーを擁し、製造者部門で2位。佐藤が米国GPで日本人史上2人目の3位入賞を果たした。06年ハンガリーGPではバトンが優勝するなど、再びホンダの名が世界にとどろいた。

 だが、近年は国際自動車連盟が各チームの経費削減のため、エンジンの開発を凍結してしまったことも一因で低迷。今季も毎回最下位争いをするなど成果を得られず、株主から「宣伝にならないならやめた方がよい」との声も上がっていた。

 今回の撤退によりF1マシンの開発などを行っている栃木・宇都宮市の栃木研究所は、ハイブリッド車中心の新技術開発などへと転換。福井社長は「歴史上どういう意味となるかは5年後に判断してほしい。F1に注いできた情熱、人材という財産は新時代に注いでいきたい」と、創業者故本田宗一郎氏のチャレンジャー精神を今後の復興に引き継ぐ意向だ。