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伊藤有希が銀 葛西泣かせた

ジャンプ女子で銀メダルを獲得し、セレモニーで笑顔の伊藤(AP)
ジャンプ女子で銀メダルを獲得し、セレモニーで笑顔の伊藤(AP)

<ノルディックスキー:世界選手権>◇第3日◇20日◇スウェーデン・ファルン

 4大会連続出場の伊藤有希(20=土屋ホーム)が、逆転で銀メダルを獲得した。1回目は89メートルで4位だったが、2回目はK点を越える93メートルの大ジャンプで、2回合計235・1点と2つ順位を上げた。所属先の選手兼監督、葛西紀明(42)をまねて手のひらを下に向けて飛ぶ「ムササビ」ジャンプを取り入れるなど、レジェンド化で快挙をつかんだ。

 20歳の伊藤がレジェンドを泣かせた。1回目4位から2回目に93メートルを飛び逆転で銀メダルをつかみ取ると、下で見ていた葛西の胸に笑顔で飛び込んだ。金メダルまで1・8点差。あと1歩まで迫った頂点を逃した悔しさで涙は出なかったが、葛西の目からは大粒の涙が止めどなくあふれた。

 自身の銀メダルでも泣かなかった男が、後輩の前で人目もはばからず泣く姿に、自分が成し遂げたことの大きさにようやく気づかされた。伊藤は「うれしいより悔しかったが、監督が泣いていたからびっくりした。周りが私以上に喜んでくれているのでうれしいです」と照れくさそうだった。

 「失敗ジャンプだった」1回目に89メートルで4位に踏みとどまった。2回目は、飛び出しでジャンプ台にしっかり力を伝えると、監督も「完璧だった」と話したように、前へ、前へとぐいぐい伸びて93メートルまで飛んだ。今季はW杯でも4位が最高だが、今大会の日本勢メダル第1号に輝いた。「会社やチームスタッフのおかげ」と感謝が口をついた。

 元祖スーパー中学生といわれながら、その後しばらく低迷した。葛西と同じ所属先に入ったのは2年前。チームメートには女子はいない。男子3人と同じメニューをこなした。葛西は「男子のように前にギューンと行くジャンプを教えた。女子でそれができるのは沙羅ちゃんとイラシュコ(オーストリア)だけだったが、できるようになってきた」。ソチ五輪は7位。悔しさを体に刻み込みながら成長を続け、18年平昌五輪に向けた最初のシーズンに大きな勲章を手にした。

 今春からは葛西と同じように、空中で手のひらを下に向けるジャンプスタイルに変えた。私生活でも葛西家に入り浸り。遠征で葛西が不在でも、時間があれば怜奈夫人に会いに行った。公私ともに偉大なる先輩から受ける影響は大きく「葛西さんの経験が私の道しるべになっている」と言う。

 22日には混合団体で連覇を狙う。「2年前はすごく緊張した。足を引っ張ってしまったので今回は貢献してメダルを取りたい」。レジェンドとともに金メダルをつかみ、再び泣かせて見せる。【松末守司】

 ◆伊藤有希(いとう・ゆうき)1994年(平6)5月10日、下川町生まれ。下川商-土屋ホーム。下川ジャンプ少年団コーチの父克彦氏の影響で4歳から競技を開始。下川小6年時の07年にコンチネンタル杯で国際大会デビュー。同年3月10日の札幌で3位に入り、同大会で日本史上最年少で表彰台に立った。14年1月のW杯蔵王大会で2位。同年2月のソチ五輪は7位。家族は両親と弟。161センチ、47キロ。

 [2015年2月22日9時14分 紙面から]









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