アメリカンフットボールの名監督3人が殿堂入りした。日本の殿堂は96年にオープンし、これまで14人が殿堂入りし、16年には新たに11人(故人7人)が加わる。関学大の武田健(83)京大の水野弥一(75)の元両監督に、日本代表の阿部敏彰前監督(74)も含まれる。3日の東京ドームでの日本選手権プルデンシャル生命杯ライスボウルで、ハーフタイムに顕彰された。

 武田氏は関西学院でフットボールを始め、大学時代にQBとして甲子園ボウルで2度優勝した。卒業後は北米留学して学んだ戦術などを国内に紹介し、関学大ではヘッドコーチ、監督として11年間指導。大学日本一を争う甲子園ボウルでは7回優勝し、関西学院監督としても6度高校日本一になった。

 04年に殿堂入りした日大の篠竹幹夫元監督とは長年のライバルで、日本の指導者の中で双璧とも言える。戦術眼は鋭く、テレビ解説、入門書の刊行で普及、発展につなげた。心理学者としてもチーム運営、指導方針を理論的にも解き明かし、日本フットボールの近代化に大きく貢献。学長も務めた。

 水野氏はパイロットを目指した防大でフットボールを始めたが、腰を痛めて中退した。京大に入学してラインでプレー後に米留学し、監督として甲子園を6度制覇。社会人と日本一を争うライスボウルでは4度優勝に導いた。

 素人集団を鍛え上げ、関学大の連勝を145で止め、数々の名勝負を繰り広げた。スパルタやカリスマ的指導で国立大の全国制覇に、マイナースポーツながら大きな注目を集めた。14年には追手門大監督となったが指導方針が受け入れられずに辞任している。

 阿部前監督は日大ではFBで主将として、甲子園3連覇を達成した。70年にクラブチームの走りとして現在のアサヒビールとなるシルバースターを創設。チーム名は「日本の頂点で輝く銀色の星になる」と命名した。

 クラブチームとしては初の社会人王座を獲得し、ライスボウルでも3度優勝し、現在も監督を務めている。世界選手権では99年第1回から代表監督を3度務め、第1回から2大会連続優勝に導いた。社会人フットボールの土台を築き、リードし、発展させてきた。