日本ラグビー史上屈指のスター選手として活躍し、日本代表の主将、監督も務めた平尾誠二氏が20日、死去した。53歳だった。1997年2月19日付の日刊スポーツ1面(東京版)ではラグビー日本代表監督に34歳の若さで就任した平尾氏について報じていた。

 

 ミスターラグビー平尾誠二(34=神戸製鋼)が、日本代表監督に就任した。18日、山本巌監督(49)の任期切れに伴って日本ラグビー協会の理事会で決定したもので、長期政権を視野に入れた監督としては史上最年少となる。平尾は「全権監督」として強化にかかわる組織の改革にも着手。1999年W杯(英国など)への強化の「切り札」となるとともに、21世紀を目指す日本ラグビーの新たなかじ取り役になる。

 ラグビー界の期待の大きさは、日本協会・白井善三郎専務理事の言葉にあふれていた。「彼の要望で(協会内の)組織も変える。5年から10年先を見据えた改革です」。長期政権を約束するとともに、強化にかかわる全権を与えることも明言。来年のW杯予選、そして2年後のW杯、さらに日本ラグビーの将来が、平尾の手にゆだねられた。

 「多数の候補の中からではなく、平尾一人に就任を依頼してきた」。白井専務理事は、唯一の候補であったことを明かした。就任を要請した昨秋は即答を得られなかった。しかし、粘り強い交渉が平尾と会社(神戸製鋼)を動かした。

 34歳は、単一遠征の監督を除けば最年少。日本協会の金野滋会長は「古いしきたりに捕らわれず、近代的なラグビーをしてほしい」と話した。若さにも「年齢は関係ない。選手のリスペクト(尊敬)を得ているし、日本で一番ラグビーを知っている」と絶賛した。

平尾の頭には、常に「世界」がある。日本選手権7連覇は「スペースをつくる」ラグビーで果たした。選手全員が戦術を理解し、次の展開を読む。相手を置き去りにしてスペースを空け、ボールをつなぐ。ただぶつかるだけでも、蹴るだけでもなかった。新しい、世界へのプレーを求め続けた。

 一度はラグビー界から追われた。85年、ファッション雑誌に登場したことでアマ資格を問われ、代表から外された。「日本選手権は遊び」「国内で勝っても意味はない」。歯に衣(きぬ)着せぬ発言が誤解も呼んだ。「生意気」とも言われた。それでもラグビーを愛し、世界を追求した。そして今、日本ラグビーは卓越した理論と行動力、そしてカリスマ性にかけた。

 今季の全国社会人大会は負傷(左足付け根)でスタンド観戦した。代表監督就任を前に「指導者の目」で試合を見た。12日に神戸製鋼のGM(ゼネラルマネジャー)就任が決定、代表監督就任で現役生活には完全に別れを告げる。

 ここ数年、日本ラグビーは低迷してきた。W杯では世界との差を見せつけられた。国内試合の人気も低下してきた。明大ラグビー部の騒動など、暗い話題もあった。しかし、平尾の登板は、久々にラグビー界の明るい話題となる。「ミスターラグビー」はきょう19日に会見し、スタッフや構想を明かす。35キャップを持つ「日本のエース」が、ニッポン再建へ向けスタートを切る。

 ★伏見工時代の恩師・山口良治監督(54)

いずれは(代表監督に)なる人材と思っていた。平尾なら選手に一番近い立場で指導できるだろうし、理解力もあるはず。画期的な指導で、低迷する日本ラグビー界を盛り上げてほしい。

 ◆宿沢広朗の目

僕が1989年(平元)に日本代表監督に就任した時は38歳だった。その時、僕が主将に任命した平尾が、34歳の若さで監督に就任する。勇気を出して可能なことに全部トライしてもらいたい。期待するのは、一日も早く平尾のスタイルを確立してほしいということだ。

 平尾の武器は、豊富な国際試合の経験だろう。相手がどういうラグビーをするのか、ビデオを見るよりも肌で知っている方が断然強い。選手との年齢が近いことも、技術や性格、行動パターンをつかみやすい点でメリットがある。多大な期待への重圧も、彼なら苦にならないはずだ。

 日本代表の個々の素材はレベルアップしている。後は鍛え方次第だが、若いからといって遠慮してほしくない。スタッフを含め、自分が最もやりやすい体制を築き、選手起用についても「このポジションにはこの選手を使う」といった意向を強く出し、チームづくりに責任を持つことだ。当面の結果には惑わされなくていい。評価も批判も受け入れながら、出したアイデアをいかにこなしていけるかだ。僕は可能なことは全部やろうとることを目指したが、望むことに挑む行動力が最も大事だ。平尾にはそれができると思っている。 (元日本代表監督)

第1回W杯以降の監督

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期間 名前

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86年11月〜87年6月 宮地克美

87・ 6 〜88・11 日比野弘

89・ 1 〜91・11 宿沢広朗

92・ 1 〜95・ 6 小薮修

95・ 7 〜97・ 1 山本巌

★平尾誠二(ひらおせいじ)

◆生まれ

1963年(昭38)1月21日、京都市出身。181センチ、83キロ。

◆ラグビーとの出合い

京都・陶化中で始め、名門の伏見工に進学し才能が開花。3年時に主将としてチームを率い花園制覇。

◆11回の日本一

同大では史上初の3年連続大学日本一に主力として貢献。半年間の英国留学を経て、86年神戸製鋼入社。88年から主将に就任し日本選手権V7。高校からの日本一は実に11回を数える。

◆最年少代表

同大2年の19歳4カ月で日本代表入り。司令塔として主将を務めた91年W杯では日本を初勝利(対ジンバブエ)に導く。キャップ数は35。

◆モデル

85年には抜群の容姿を買われてファッション雑誌にモデルとして登場。アマ規定違反として代表を外された。

◆平尾プロジェクト

昨年から将来の日本代表を発掘、育成する「平尾プロジェクト」を発足させる。

※表記などはは当時のもの