リオデジャネイロ五輪7人制日本代表バックアップメンバーの同大WTB松井千士(ちひと、4年)が先発で今季初出場し、いきなりの3トライで格の違いを見せつけた。リオ五輪から帰国後、途中合流した8月の夏合宿の練習試合で右足大腿(だいたい)直筋付着部(右足付け根部分)を剥離骨折。五輪最終メンバー落ちとケガの苦しみを乗り越え、優勝争いの佳境でチームに戻ってきた。

 「僕としては20~30点ぐらいです。今日はいい形でチームメートがつないでくれました」

 自己評価は厳しいが、同大の地元京都のファンをうならせるプレーが続いた。最初の見せ場は後半13分。右サイドでボールを受けると、目の前の相手を一瞬のギアチェンジで外に抜ききった。自陣22メートル付近からライン際を快走すると、50メートル5秒7のスピードに誰も追いつかない。約75メートルの独走で今季初トライ。さらに2つのトライを挙げ「2~3カ月も(ケガで)ラグビーから離れたのは初めて。スピードも落ちていなかった」と久々に取ったトライの味をかみしめた。

 ラグビー大国ニュージーランドを破っての4強と健闘が光ったリオ五輪。松井はこの日の試合後も「出られないもどかしさがあった」と振り返った。昨秋に五輪出場権を獲得してからイケメンと天性のスピードで注目され、賢明にに五輪を目指してきたが大会前に代表落選。バックアップメンバーとしての同行は単に「悔しい」「もどかしい」の言葉で片付けられない思い出だ。

 「一番きつかったのは、服装ですかね…」

 バックアップメンバーの様子はあまり知られていないが、パナソニックWTB藤田慶和(23)と松井の2人は、代表との違いを肌で感じる毎日だった。選手村には入れず、歩いて40分ほどかかるホテルの同部屋に藤田と宿泊。リオで正規メンバーと練習したのは1度きりで、藤田と2人で午後に練習した。IDパスはなく、試合も観客席から見た。その中で特に“格差”を感じたのが、移動時に正規メンバーが五輪代表スーツを着用するのに対し、ポロシャツと茶色のチノパンを身につける服装の違いだった。

 「藤田さんとは『どうしたら出られるんだろう』と話して…。もしかして…のために、『自分たちから仕掛けないといけない』とはずっと思っていました」

 五輪直前のサンパウロ合宿では誰よりも体を張り、当時の瀬川ヘッドコーチも「松井と藤田が一番激しく練習してくれた」と回想する。それでも五輪のピッチには届かなかった。現地で同行したからこそ分かるメンバーとの差。帰国後には畳みかけるようにケガに見舞われた。腐りかけた心を奮い立たせたのは仲間が日本一に向けて体を張る姿であり、元日本代表で同大のコーチを務める大西将太郎氏の「お前が帰ってきて(同大のラグビーが)完成する」という言葉だった。

 11日に松井は22歳の誕生日を迎えた。昨年12月の大学選手権以来となった紺とグレーのジャージー。80分間の戦いを終えると「21歳はリオに行けなかったり、いろいろあった。22歳は切り替えていきたい」とニッコリ笑った。見つめる先には2年連続の関西制覇と、84年度以来32季ぶりの日本一がある。強くなった心と体は、ここから披露する。