男子テニスで、世界82位のダニエル太郎(25=エイブル)が、先週のイスタンブールオープンで、日本男子4人目のツアー優勝を成し遂げた。その快挙を導いたのは、「4大大会に優勝するためだけにプレーするのはつまらない」というダニエル流人生哲学がある。テニス以外の人生を楽しむ姿を、ダニエルが、優勝後初めて、日刊スポーツの独占インタビューで答えた。主な一問一答は次の通り。

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 インタビューした場所はローマだ。優勝したイスタンブールから移動し、当初は7日開幕のツアー下部大会に、ローマでエントリーしていた。しかし、疲労で出場を取りやめ、その会場で話を聞いた。

 

 -優勝は驚いたか

 ダニエル ポルトガルから入ってすぐに試合。何も考えてなかったのかも。コートがすごく(球足が)遅くて、そのコンディションも合っていた。今年、プレーは悪くなかったんで、いつかは結果が出てくると信じていた。

 -急きょの出場だった

 ダニエル ポルトガルのエストリルで、予選を戦うために3日(木)に入って。4日(金)の夕方に、イスタンブールが本戦になったと連絡があった。5日(土)にイスタンブールに飛んで、入ったのが夜。2日後の7日(月)には試合があった。

 -決勝までも危ない試合がいくつかあった

 ダニエル 準々決勝は最終セット0-4だった。準決勝もストレスのかかる試合で。でも、危ないシチュエーションをしのいでいくと、次は負けるのが、そんなに怖くなくなる。だから、準々決勝をしのいだ後は、準決勝のピンチでも勝てるという自信は残っていた。

 -昨年、拠点をスペインから日本に移した。同時に、フォアとサーブを改良した

 ダニエル 大きく変えたというより、いろんなものを足していっている。フォアハンドに浅い球が来た時に、その球を下がって打つのではなく、前に出て高い打点で打つとか。ボレーの練習をもっとしたりとか、サーブの練習をもっとしたりとか。ただ、アグレッシブになろうと思うと、落ち着いてプレーが絶対にできない。だから、今年、慣れない最初は結果が出てこないのは普通だったと思う。(続く)

 

 ◆ダニエル太郎(だにえる・たろう)1993年(平5)1月27日、ニューヨーク生まれ。7歳でテニスを始め、09年プロ転向。14歳で日本からスペインに移住した。14年に日本代表デビュー。16年リオデジャネイロ五輪で3回戦に進んだ。英語、スペイン語、日本語に加え、ロシア語もマスター。父が米国人のポール・ダニエル氏。母が日本人の泰江(やすえ)さん。妹の可菜さんもテニス選手。190センチ、76キロ。