野中生萌(みほう、21=TEAM au)が2位に入り、初の年間総合優勝に輝いた。6人による決勝では4課題全てをクリアしたが、優勝したガルンブレト(スロベニア)が完登に要したトライ数が最も少なかった。優勝は逃したが、5点差で追っていた野口との最終戦までもつれ込む女王争いを制した。

 最終4課題目のトップホールド(突起物)をつかむと、野中は涙をにじませ、腕で両目を覆った。床に降りてからも感極まってしばらく動かずに「ずっと夢だった」年間女王に初めて輝いた余韻に浸った。

 好きな言葉である「今に見てろと笑ってやれ」を体現した。4月のワールドカップ(W杯)開幕前、2月に行われたボルダリングジャパンカップ(BJC)。4位と振るわなかったが「W杯に照準を合わせているので」と一蹴したところから今季が始まった。

 W杯では今季からスピードにも出場。「東京オリンピック(五輪)でやるなら今からやっておこう」と複数種目をこなす体力面の強化に励んだ。その1つとして、サッカー日本代表の長友が愛用する「フローイン」という器具を使って手足を素早く動かすトレーニングで体のキレや俊敏性を磨き、1日に複数種目を練習する日を作り、持久力も並行して鍛えた。

 努力はW杯の結果になり、精神面でも自信をつけた。BJC4位の悔しさを晴らすかのように4月にW杯今季開幕戦を優勝で飾ると、残る5戦を全て2位、年間総合得点1位で迎えた最終戦。同2位の野口とは総合得点5点差で、勝った方が年間女王-。結果を安定して残せるようになったことで自信をつけ「私もできる」と奮い立たせて、最終戦4課題全てを完登した。

 9月の世界選手権では、トップレベルの国際大会で初めて20年東京五輪と同じ複合が行われる。「タイトルは自信になる。なんならもっと調子を上げたい」と笑みを浮かべた。【鈴木智貴通信員】

 ◆野中生萌(のなか・みほう)1997年(平9)5月21日、東京都生まれ。父の登山トレーニングの一環でクライミングを知る。15歳でリードW杯日本代表に初選出、16歳でボルダリングW杯初参戦。15年アジア選手権優勝。16年世界選手権で2位。名前の生萌は若葉萌(も)える季節に生まれたことにちなむ。3人姉妹の末っ子。162センチ。