「ミスター・ハンドボール」宮崎大輔(37=大崎電気)が、来年1月の男子世界選手権(ドイツ、デンマーク)に臨む日本代表に復帰した。日本協会は17日、代表19人を発表。宮崎は今年1月のアジア選手権以来メンバー表に名を連ね、20年東京オリンピック(五輪)前最後の真剣勝負の舞台に立つ権利を手にした。

関係者やスポンサーを集めて都内で行われた壮行会、宮崎は笑顔で記念写真に納まった。「世界選手権は久しぶりですから」。3大会ぶりに日本が出場した前回17年フランス大会は落選、今回試合に出れば11年スウェーデン大会以来8年ぶり3回目の世界舞台だ。

昨年7月に2年ぶりに代表復帰し、今年1月のアジア選手権(韓国・水原)でもプレーした。しかし、若手の台頭やケガもあり、8月のアジア大会もメンバー外。それでも「東京五輪出場」の目標はぶれなかった。

10月の欧州遠征で代表入りすると、4試合で17ゴール。フローターと呼ばれる点取り屋のポジションからサイドへ役割は変わったが「自分なりの新しいスタイルをアピールできた」。シグルドソン監督も「選手選考に年齢は関係ない。ダイスケはチームの助けになる選手」と高く評価した。

復帰はしたが、立場は厳しい。3週間前に左足ふくらはぎに肉離れを起こして「だましながら練習している」。1週間前には古傷の右肩を痛め「思い切り腕を振れない」。それでも、練習では19歳の新エース部井久ら若手に負けずに走る。「いつもトップ集団。この年齢だからこそ頑張らないといけない」と笑った。

初めて五輪を目指したのが03年のアテネ大会予選。「中東の笛」でやり直しとなった08年北京大会など4回挑戦したが五輪には届かなかった。だからこそ、すべてをかけて東京五輪を目指す。「最近、周囲からまだやってたんですかと言われる。やってますよ。まだまだ」。視線の先には、長い間夢に見続けてきた五輪の舞台がある。【荻島弘一】

◆宮崎大輔(みやざき・だいすけ)1981年(昭56)6月6日、大分県大分市生まれ。大分・明野北小でハンドボールを始め、明野中-大分電波高-日体大-大崎電気。09~10年はスペイン1部のアルコベンダスでプレーした。03年に日本代表入りし通算128試合で歴代1位の580得点(日本協会調べ)。テレビ番組「スポーツマンNO・1決定戦」3回優勝。174センチ、75キロ。