アルペン界のレジェンドが、24年ぶりにレース復帰した。ワールドカップ(W杯)で日本人初の2位に入るなど80、90年代のスキー界をけん引した小樽市出身の岡部哲也(53)が、成年男子C(34歳以上)大回転に東京都代表で出場し、1分15秒04で出場130人中33位に入った。95年の現役引退以降、24年ぶりの本格的なレース参戦。5日の学生大会の前走で転倒し、第3腰椎横突起骨折の重傷を負いながら強行出場し、完走で故郷北海道に勇気と希望を送り届けた。

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岡部が満身創痍(そうい)の中、滑りきった。コース脇から「岡部さ~ん」と黄色い声援も飛ぶ中、スタート。コース終盤、スピードが出すぎて思わず「うおっ」と声がもれたが、バランスを持ち直し、しっかりフィニッシュした。9月の北海道胆振東部地震では、両親が小樽の実家で被災しており、地元復興への思いを背負っての参戦だった。「この年でまたレースの緊張感や、刺激を味わえた。役目は果たせたのかな」と笑顔で振り返った。

昨年12月、テレビ番組の収録で、今大会と同じコースで転倒。右ふくらはぎを筋断裂、左ふくらはぎと膝下の筋肉を圧迫打撲した。ケガを抱えながら1月の東京都予選に出場し、トップで出場権を獲得。調整のため、今月5日の学生大会の前走を務めると、転倒して第3腰椎横突起を骨折し、全治2カ月の重傷を負った。ボロボロの体に痛み止めを飲み、コルセットを巻いての強行出場だった。

昨春、自身の教室の教え子だった10歳の女児が、北海道のスキー場で事故死した。さらに9月には故郷を地震が襲った。「いろんな思いがあって、どうしてもあきらめたくなかった。出るからには、中途半端な形では出たくなかった」。腰椎骨折後、松葉づえを使っていたが、13日の北海道入りの際「ケガしていると思われたくない」と置いてきた。激痛を笑顔で隠し、キャリーバッグの取っ手を支えに移動。14日に小樽で練習滑走し、可能な限り準備を整え、レースに臨んだ。

北照高時代の恩師、工藤裕氏(69)も会場で応援。かつての教え子の激走に「やっぱりいい滑りをする。岡部が出ることで地元がまた盛り上がるよ」と喜んだ。レースを終えたレジェンドの周りには、写真撮影を求めるファンが次々と集まった。「どんなに厳しい状況でも、やる気になれば何でも出来る」。体を張って戦う53歳の雄姿が、北海道にパワーを届けた。【永野高輔】

<レジェンド岡部哲也アラカルト>

◆略歴 1965年(昭40)5月15日、小樽市生まれ。3歳でスキー板を履き、北照高を経て85年にデサント入り。回転のスペシャリストとして活躍し、五輪に3度、世界選手権に3度出場。95年のW杯富良野大会を最後に現役を引退。現在は長野・軽井沢町でスキー教室の運営や、テレビ解説などを務めている。

◆W杯 高校3年の82年富良野大会で初出場。88年オプダル大会回転で当時世界最強のアルベルト・トンバ(イタリア)を0秒55差まで追いつめ2位に入り、日本人初の表彰台に立った。90年ジュラドミング大会でも3位に入り、このシーズンは6戦で6位以内に入賞し回転総合7位に入った。

◆五輪 88年カルガリー大会から94年リレハンメル大会まで3大会連続出場。カルガリーの回転12位が最高だった。

◆冠大会 03年4月に功績を記念して、故郷の小樽で「岡部哲也メモリアルスラローム」が開催された。国際スキー連盟(FIS)の公認レースで、個人名が大会名になるのは日本人初。以後、「岡部哲也カップ」の大会名で10年まで続いた。