日本のダンスシーンが揺れた! 24年パリオリンピック(五輪)の追加種目候補にブレークダンスが決まったことで、日本ダンススポーツ連盟(JDSF)は22日夜、都内で緊急の記者会見を開催。ドタバタの中で朗報に対応した。

昨年10月のユース五輪で金メダルを獲得した河合来夢(17=神奈川・百合丘高2年)と銅メダルの半井重幸(16=大阪学芸高2年)も急きょ招集。制服のまま駆けつけた2人は5年後の「金メダル獲得」を宣言し即興のダンスを披露した。

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東京・有明のJDSF事務局、普段は社交ダンスで使われるスタジオにイスとテーブルが並べられた。JDSF幹部と同ブレイクダンス部員たち、大阪から駆けつけた半井を待ったこともあって、6人そろったのは午後7時。山田淳専務理事の「あまりの反響の大きさに驚いています」の言葉で会見は始まった。

前日のパリ大会組織委員会発表を受け、この日は朝から事務局に電話が殺到した。問い合わせの多さに対応しきれず、緊急会見が決まったのが午後2時。経営する川崎のスタジオから直行したブレイクダンス部の石川勝之部長(ダンサーネーム=KATSU1)は借り物のスーツ。世界中の仲間からメールが入り「一睡もできませんでした」と疲れ切った表情で笑った。

JDSFにブレイクダンス部ができたのは、17年12月。国際ダンススポーツ連盟(WDSF)によるユース五輪実施が決まった直後だった。「これまで社交ダンスをやってきて、分からないことだらけ。KATSUに教えてもらっている」と山田氏。配布された連盟の案内資料には「ブレークダンス」の写真どころか文字もなし。1年間の環境の急激な変化が分かった。

「候補入りは予想していた」と石川部長は言うが、ピンチはあった。組織委の発表前に五輪反対派がSNSなどで運動した。石川部長らを中心に前向きなダンサーがSNSで対抗した。「五輪に反対するダンサーがいるのは事実。ただ、広く知られることで、世界が広がるのはいいことだと思う」と同部長は言った。

もともとは米国のギャングや不良の「けんか」「殺し合い」の代わりに始まったのがヒップホップ文化。銃やナイフを捨て、踊ることに特化したのがブレークダンスだ。「そういう歴史や背景は、平和を求める五輪ともつながる」と石川部長。「ブレークダンスは新しい文化だけれど、多くの可能性がある」。山田専務理事も、五輪での成功を信じて話した。【荻島弘一】