誰もが思いも寄らぬ失墜を経て迎えた東京オリンピック(五輪)1年前-。体操で五輪2大会連続金メダリストの内村航平(30=リンガーハット)は4月の全日本選手権で予選落ちし、五輪前哨戦の世界選手権(10月、ドイツ)代表に名を連ねることなく、節目の時を迎えた。年齢からくる故障と向き合いながら、ただ、その信念は決してぶれることはない。「個人より団体で金メダルを」。その真意とは-。東京のその先へたすきをつなぐ思いを聞いた。

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安息の家族だんらんの時間。子供たちは大好きなアニメを見ているそばで、自宅のソファに腰掛けて一緒に時を過ごす。ただ、絶対に肘掛けに肘はつかない。「それが肩にダメみたいで」。内村の現実がそこにある。今春の不振の原因となった両肩の痛みは容易には引かない。発症して数カ月たつが、今も負担をかけないために、寝る時はあおむけが必須の毎日。東京五輪1年前、それが「キング」の現在地。ただ、包み隠さず日常を語る口調には、悲壮感はない。覚悟が、下を向く時間を許さない。

「やっていて一番面白いのは、団体総合なんです」。この姿勢はずっとぶれない。1人で6種目を通して順位を競う個人総合ではロンドン、リオデジャネイロ五輪と2連覇したが、のめり込むのは複数人のチームで競う団体総合。「自分の力だけでどうしようもできないのが難しく、面白い」と説くが、それが東京五輪となると、意味が違ってくる。「個人より団体」。その真意を明かしてくれた。

「リオで団体も個人も取って、体操の5人のメンバーが知れ渡った感じはあったんですが、『あ、でもこんなもんなんだ』という感じだった。僕と(白井)健三が2大柱で、あとの選手、という見られ方なんだという感じで。東京で同じことをやれれば、また違う。絶対知られると思う」。

悲願のリオでの団体総合V。アテネ大会以来12年ぶりの世界一の波及効果はすぐに消えた。「お家芸体操ニッポン復活」。聞こえの良い言葉とは裏腹に現実は厳しかった。いまでも「平均台をやるんですか?」と聞かれる。それが女子の種目という基本も知られていないほど、認知度は低い。

「僕らが分かって当たり前ですが、例えばサッカーだと絶対にそういう感じの質問はされない」。

だからこそ、下を向く暇はない。描くのは何年も先。子供たちが体操選手にあこがれ、体操クラブで競い合い、試合会場には多くの人が訪れる。マイナーからメジャーへ。その使命の元、所属にとらわれずに動くため、16年冬にプロとなった。国内体操界初の挑戦は、選手のユニホームの胸スポンサー解禁など、普及につながる資金を呼び込む道筋も作ってきた。

昨年12月1日、内村はサッカーJ1長崎のスタジアムにいた。地元出身者でキックオフセレモニーに参加後、スタンドのVIP席で観戦する予定に、「ピッチで見てもいいですか」とお願いした。プロ競技が醸すファンとの一体感を浴びたかった。「体操との違いは?」「体操だったら何ができる?」。常にそうだ。

それから半年後の6月26日、都内の味の素ナショナルトレーニングセンターで、内村は1人黙々と練習に励んでいた。1週間前に15本もの注射を打った肩は改善の兆しがあり、鉄棒では最高難度I難度の離れ技も「好奇心」で試していると笑った。東京五輪代表の選考基準はまだ最終決定していない。ゆえに、今季の不振が響かないとも言える。

4月の全日本選手権の予選落ち時、東京五輪を「夢物語」と吐き捨てるように言った。それは6月下旬には「夢物語は実現できない夢という感じがしますが、いまは『夢』です。かなえられる夢。かなえなければいけない」となり、そして7月にはこう言った。

「かなえられる夢以上にはなっている」。

体操を真のメジャースポーツにするために、東京でもう1度団体金を。王は体操界の未来へ向け、帰還しなければならない。【阿部健吾】