女子78キロ級で、18年世界女王の浜田尚里(しょうり、28=自衛隊)が銀メダルを獲得した。初戦の2回戦から4試合連続一本勝ちし、決勝では世界ランキング4位のマロンガ(フランス)に一本負けを喫した。03年大会で4連覇した阿武教子以来(旧72キロ級含む)の2連覇はならなかった。

「寝技の女王」が2連覇を逃した。4試合中3試合を寝技で快勝して迎えた決勝。浜田は長身のマロンガに完敗した。懐に入れず、中盤に大内刈りで技ありを奪われて劣勢となった。すぐに寝技に持ち込んだが失敗。2分24秒。「取らないと」。焦って強引な大外刈りを返され、背中が畳についた。「金メダルを目指していたからすごく残念。もう1段階強くならないと勝てない」と唇をかんだ。

中学時代は無名だったが、鹿児島南高時代に寝技を習得して開花。78キロ級では大きくはない168センチ。柔道部監督だった吉村智之さん(43)が「抑え込みで一本を狙う方が確実に勝てる」と考え、寝技強化の指導を始めた。高校3年間は吉村さん宅に下宿し、練習漬けの日々。努力家で、稽古後も深夜まで映像研究して関節技や絞め技を磨き上げた。高3では全国高校総体で2位に入った。山梨学院大4年時、柔道の幅を広げるためにロシア発祥の格闘技「サンボ」に挑戦。14年世界選手権で優勝するほどの実力を身に付けた。周囲からは「あり地獄」と恐れられ、「寝技なら誰にも負けない」と胸を張る。

前大会を制して以降、海外勢に寝技を警戒されて国際大会での優勝はない。対策として立ち技の強化を重点に置き、内股や一本背負いなどの担ぎ技も磨いた。相撲稽古で、すり足などを反復して体幹も鍛えた。

同級は世界の層も厚く、国内の競争も混戦だ。漠然と抱いていたオリンピック(五輪)への思いは徐々に現実的な目標に変わった。「また来年、日本武道館に戻ってきて、次こそ勝ちたい」。28歳の「寝技の女王」は、しっかりと1年後を見据えていた。【峯岸佑樹】

◆浜田尚里(はまだ・しょうり)1990年(平2)9月25日、鹿児島県生まれ。10歳で柔道を始める。鹿児島南高-山梨学院大-自衛隊。17年GS東京大会優勝、18年世界選手権優勝。右組み。得意技は内股。世界ランキング3位。趣味は旅行。168センチ。