1972年(昭47)札幌冬季オリンピック(五輪)のノルディックスキー・ジャンプ70メートル級の銀メダリスト、金野昭次氏が亡くなっていたことが9日、分かった。

昨年3月に下咽頭がんを手術し闘病生活を続けていたが、5日午前1時18分、札幌市内の病院で死去した。75歳。葬儀は近親者で行った。現役時代は五輪に2度(代表は3度)、世界選手権に1度出場。引退後もジャンプ界を裏方として支えていた。

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日本ジャンプ界が、また1人、メダリストを失った。金野氏が75歳で亡くなった。72年の札幌五輪70メートル級で銀メダルを獲得し、金メダルの笠谷幸生氏(76)、08年に亡くなった銅メダルの青地清二氏(享年66)と表彰台を独占した。当時27歳。「日の丸飛行隊」と呼ばれたメンバー最年少だった。

1歳上の笠谷氏が目標であり、自身の指針にもなっていた。現役引退後、銀メダルについて問われると「ジャンプがメダル候補といわれていたが、それは笠谷さんのこと。プレッシャーは全て1人で背負ってくれた。技術と実績で世界のトップにあった笠谷さんに、追いつこうとしたことが、日本のレベルアップ、僕の銀につながった」と話していた。

自国開催の大舞台は年齢、経験、技術など全てのピークと重なった。五輪は68年グルノーブル大会が初出場だが、70メートル級は24位、90メートル級も20位と結果を残せなかった。2年後の70年世界選手権は出場もかなわず。札幌五輪1年前に開催された五輪会場でのプレ大会90メートル級で日本勢最高の2位に入り、自国開催で激戦だった五輪代表を射止めた。本番も好ジャンプを2本そろえ、当時五輪代表コーチだった笠谷氏の兄昌生氏(故人)は後年、「(1回目3位の)金野君が2本目に79メートルを決めて、メダルは確実。その時点で私の任務は終わりました」と振り返っている。

ジャンプ台を離れてからは、所属先で社業に専念していたが、00年頃から裏方として大会運営などをサポートしていた。札幌スキー連盟によると、昨年2月まで札幌で行われる大会で役員を務めていた。関係者によると、14年11月に札幌市が26年五輪招致を表明した際は(その後30年大会に変更)、とても喜んでいたという。98年長野五輪では、聖火ランナーを務め、開会式で笠谷氏らとともに五輪旗を持って入場したが、生まれ育った街の2度目の五輪は、観戦がかなわなかった。

◆金野昭次(こんの・あきつぐ)1944年(昭19)9月1日、札幌市生まれ。8歳でジャンプを始め、北海高、日大を経て北海道拓殖銀行で活躍した。71年全日本選手権90メートル級優勝。五輪は68年グルノーブル大会70メートル級24位、90メートル級20位、72年札幌大会70メートル級2位、90メートル級12位。五輪と同時開催でない世界選手権では74年ファルン大会70メートル級28位。