10年バンクーバーオリンピック(五輪)銅メダリストの高橋大輔(33=関大KFSC)がシングル選手として最後の演技を終えた。ショートプログラム(SP)14位で迎えたフリーは10位の138・36点を記録し、合計204・31点で12位。ジャンプの失敗など全盛期の完成度には遠かったが、滑りや表現で見る者の心を揺さぶった。目を潤ませ、笑顔を残して、20年からはアイスダンスに転向。18年平昌(ピョンチャン)五輪代表の村元哉中(かな、26)と新たなスタートを切る。

口でしていた呼吸を整え、笑顔の高橋が総立ちのスタンドへ頭を下げた。「大ちゃんコール」に包まれ、中2から二人三脚で歩んできた長光歌子コーチの元へ進んだ。「長い間、ありがとうございました」。サプライズで用意していた花束を手渡し、また笑った。14年前、初優勝した代々木の地で力を出し切った。

「このスポーツ、シングルに出会えて幸せ者。今の時代の技術についていけないのは、自分が分かっていた。(初優勝時は)14年後に現役で滑っていると思わなかった。いい意味でスッキリした全日本は今回が初めて。全部が思い出深い」

昨季、4年ぶりに現役復帰を決断した。日本のエースとして重圧を感じた14年ソチ五輪以前と比べ、少年時代のような表情が戻った。序盤からジャンプで細かなミスが生まれ、終盤には3回転フリップで転倒。それでも大きな拍手を聞く前に、すぐに立ち上がった。

「お客さんの拍手をもらって『シングル引退なんだな』っていう、実感が湧きました。こういう場で次に向かえることが幸せです」

スケートが好き-。その笑顔は幸せを運んだ。この日、観客席に両親がいた。岡山・倉敷市の理容店で働く母清登さん(70)は、14回目出場となった今回が初めての生観戦。「あの時」のように、33歳の息子を見つめる視線は温かかった。

4人兄弟の末っ子が小2でスケートを始めると、家計は一層厳しくなった。8~9歳の頃に、広島で行われたエキシビション。所属のクラブで倉敷から足を運ぶことが決まった。行きは在来線、帰りは新幹線。2階席で1万円かかった。母は何とか費用を捻出した。

華々しいショーだった。1000円を握りしめた高橋は、世界の名選手の演技に目を輝かせ「ボナリーに花を投げたい!」とフランスの女子選手を指さした。引率した女性に「いいの? 500円かかるよ。後悔ない!?」と確認されても首を縦に振った。家に戻ると、清登さんに伝えた。

「母ちゃん、良かった~!」

その笑顔は苦労や、悩みを吹き飛ばす力があった。

2019年。村元からの誘いを受け、ベテランに新しい道が開けた。演技後の取材エリアで元世界王者は「次に頑張れることを見つけられたのが一番」と真剣な表情で口にした。そして、1年後に思いをはせた。

「全日本に戻ってこないとヤバイですよね。もうシングルのことは考えなくていい。哉中ちゃんにしごいてもらいたいと思います」

その真っすぐな心で、道なき道を進む。【松本航】

◆高橋大輔(たかはし・だいすけ)1986年(昭61)3月16日、岡山県生まれ。02年世界ジュニア選手権を制し、06年トリノ五輪8位。10年バンクーバー五輪で銅メダル、世界選手権優勝。14年ソチ五輪で6位となり、10月に引退。引退後はプロスケーター、解説などで活躍。昨年7月に現役復帰。来年1月からはアイスダンスに転向。165センチ。