阪神・淡路大震災から17日で四半世紀を迎える。ラグビーの神戸製鋼はあの日、日本選手権7連覇の2日後に震災に見舞われた。神戸製鉄所(神戸市灘区)では「第3高炉」が緊急停止。所員が2カ月半で復旧させたチームの象徴とし、今季からユニホームに描いてトップリーグ(TL)を戦っている。16日は神戸市内で次節ヤマハ発動機戦(18日)に向け調整。節目の日を前に、常勝軍団復活を誓った。

    ◇   ◇   ◇

復活の鼓動は2年前に鳴り始めた。18年2月、福本正幸チームディレクター(TD)は、春から総監督を務めるウェイン・スミス氏に真剣な口調で聞かれた。

「高炉が解体されることに、何も思わないのか。鉄鋼メーカーの命だろう?」

ニュージーランド代表のコーチとしてW杯2連覇。就任前だった名将は、17年10月に休止した「第3高炉」の持つ意味を現場に問いただした。かつて全員が社員だった選手は、プロが約6割。ラグビー部と会社の距離は遠くなっていた。

95年1月17日、午前5時46分。当時27歳の福本TDが住む東灘区の10階建て社員寮は、強い揺れで1階部分がつぶれた。「助けてくれ!」。外に飛び出し、がれきを動かした。同区内の練習場は液状化。23歳だったプロップの清水秀司さんは2日前、大東大戦に先発して日本選手権7連覇に貢献していた。夜通しで救援物資に対応していると「高炉が止まって大変や。とんでもないことが起きている」と伝え聞いた。

灘区では高さ100メートルの第3高炉が緊急停止。鉄鉱石へ送る熱風が生まれず、内側で製造過程の鉄が冷えて固まろうとしていた。停止中でも熱は1000度近くあったが、製鉄所員はショベルカーで高炉内に入った。2カ月半後に復旧し、命がけで会社は守られた。

スミス総監督は来日後の18年春、選手と神戸製鉄所へ向かった。すでに機能は加古川工場へ引き継がれていた。解体中の第3高炉で耐火レンガを拾い上げると、クラブハウスへ持ち帰った。説明役を担った清水さんは「(会社と)ラグビー部が、近い存在になった」。震災翌年の96年に連覇は7で途絶えた。震災前の常勝軍団復活へ-。昨季果たした18大会ぶりの日本一で、再びその火をともした。

今季のジャージーには、象徴でもある「第3高炉」が刻まれている。小1で被災した、神戸市北区出身のSH日和佐は「去年は『第3高炉のように復活を遂げよう』とやった。今年はもっと、その火を強くしたい」。かつての強さを取り戻す作業は、これからも続いていく。【松本航】