19年ラグビーワールドカップ(W杯)日本大会で日本代表8強に貢献したロックのトンプソン・ルーク(38)が19日、現役最終戦を迎える。

所属する近鉄の優勝が懸かったトップチャレンジリーグ(トップリーグ2部相当)最終節は栗田工業戦。東京・秩父宮ラグビー場で午後2時キックオフとなっている。

日本中のファンに親しまれた「トモさん」にとって、節目の1日がやってきた。04年の来日から16年。10年に日本国籍を取得した男も、当初は現在の立ち位置を想像できていなかった。

「最初は1年プラス1年の契約。僕のイメージでは2年間は日本でやって、ニュージーランド(NZ)に帰るつもりだった」

きっかけは母国NZのカンタベリー協会と、三洋電機(現パナソニック)とのつながりだった。すでにカンタベリー州代表として活躍していたが、NZ代表で同じロックを務めたブラッド・ソーン、クリス・ジャックがチームに戻れば2軍の日々。同協会でマネジャーを務めていたロブ・ペニー氏(現豊田自動織機アドバイザー)に「三洋にはチャンスがある。1~2年やって、戻ってきたら」と背中を押され、日本行きを決断した。

「日本に来て、最初はビックリした。東京はビルが多くて、とにかく人が多い。それに日本語がめっちゃ難しい。高1の2カ月間、日本語をちょっと勉強していたけれど、全然しゃべられなかった」

そんな国を次第に好きになっていった。

「人がむっちゃ優しい。みんな優しい。初めはすし、刺し身は食べなかった。三洋電機の晩ご飯でもみんなが差し身を食べている中で、焼いてもらっていた。でも今はむっちゃ大好き(笑い)。お好み焼き、ラーメン…。日本は何でもおいしい」

三洋電機に2シーズン在籍し、決断の時がやってきた。

「代理人に『ここでニュージーランドに戻ったら、また低いところからスタートになる』と言われ、近鉄の話をもらった。近鉄にチャンスをもらおうと思った。それが今思えば、一番いい判断だった」

近鉄に移籍すると、日本代表から声がかかった。07年4月の香港戦で初キャップ。同年のW杯フランス大会でもピッチに立った。W杯には4大会連続出場を果たし、積み上げたキャップは71。気付けば、近鉄で14季目を迎えた。日本のファン、近鉄が本拠地を置く大阪のファンを愛し続けた。

「近鉄と日本代表。そのジャージーを着ると、きょうだいのような、いろいろな人の思いを背負う。それが誇り。近鉄そのものも実家のようなもの。(花園ラグビー場のある)東大阪は私にとって、居心地の良い場所です」

引退後は母国での牧場経営を志す。現役最終戦も最後の1秒まで、きっと体を張り続ける。【松本航】