米プロバスケットボールNBAで一時代を築いた元スター選手のコービー・ブライアント氏が26日、死去した。41歳だった。

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全米だけでなく全世界中に衝撃が走った悲劇だった。96年に入団してからレーカーズ一筋20年。オニールとのコンビで00から3連覇した時の「8」とチームの中心となって09年から連覇した「24」。2つの背番号が永久欠番となっているほど愛された選手だった。

この日の各試合では、最初の24秒はお互いにプレーせず、次の8秒も自陣から敵陣に持っていかずにいったんタイムアウト。会場からは「コービー」コールとスタンディングオベーションで追悼。ブライアント氏を尊敬していたホークスのトレイ・ヤングは最初に8番をつけてコートに立つなど、功績の大きさを物語っていた。

90年代がジョーダンなら、00年代はブライアント氏の時代だと言える。そして現在のレブロン・ジェームズらの時代に受け継がれた。前日ジェームズがブライアント氏の通算得点(3万3643得点)を超えたばかりだというのも何とも言えない巡り合わせだ。

歴代のNBA選手の中で3本の指に入ると言ってもいい。どこからでも点を取れるSGで、後ろに下がりながらのシュートが得意だった。印象に残っているのは引退試合での60得点。「これで引退してしまうのか」と衝撃を受けた。あまり多くを語らずストイックな選手だったが、高校から入ったこともあり、引退後は若手選手の相談に乗るなどコミュニケーションを取り、多くの選手にアドバイスをしていたという。

バスケット界だけでなくこの日NFLでもスタンディングオベーションがあったり、サッカーの元ブラジル代表ネイマールが得点後に両手で「24」のポーズをしたりと、世界のアスリートからもリスペクトされていた。父が神戸を気に入り、つけたコービーの名。自身も阪神・淡路大震災後に来日した。兵庫出身でレーカーズファンの私にとってもとても印象深い選手だった。(NBAコメンテーター 塚本清彦)