世界選手権王者として臨んだ92年バルセロナオリンピック(五輪)。柔道競技最終日。北海道・白糠町出身の越野忠則は日本のトリとして金メダルの期待を背に畳に上ったが、準決勝でグセイノフ(アゼルバイジャン)に敗れた。「力と力で勝負しようと思ったけど、去年よりずっと強くなっていた。おれより強いのがいたということだ」。潔く負けを認め、直後の3位決定戦を制した。柔道では北海道勢男子初のメダルを獲得した。

91年の世界選手権(スペイン)で初の世界一。白糠町で生まれ小学3年で競技を始めた道産子は、84年ロサンゼルス五輪60キロ級金の細川伸二の後継「ポスト細川」と称された。五輪開催年の92年5月、全日本選抜体重別で一本負けし、国内で約3年ぶりに敗れた。「あの負けで、以前の僕の柔道に戻ることができた」。五輪では積極果敢な柔道を見せ、帰国後は「生涯で最高の戦いができた」と振り返った。

一度は「(4年後の)アトランタではまだ30歳。やれると思う」と語ったが、引退。翌93年からは国際武道大(千葉)のコーチとなり、現在は同大男子部監督として指導にあたる。