19年ラグビーW杯日本大会の閉幕から、2日で半年を迎える。日本代表のプロップ具智元(グ・ジウォン、25=ホンダ)は1次リーグのスコットランド戦で、あばら骨を痛めて前半途中交代。初の8強入りを決めた一戦で悔し涙を流した。新型コロナウイルスの影響でトップリーグ(TL)は第6節で打ち切り。それでも1人でスクラム強化を続け、23年W杯フランス大会へ築く土台が緩むことはない

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米俵のような重りを背中にかつぎ、スクラムの姿勢を作った。具は表情をゆがめ、歯を食いしばり、額に汗をにじませた。3月23日、新型コロナウイルスの影響でTLは全試合中止が決定。だが以後も週5日、スクラム練習を欠かさない。「面白くはないですけれど、頑張るしかないんです」。1人で取り組む地道なメニューに1時間を費やす。半年前、世界中が熱狂したW杯を思い返して言った。

「すごく自信を持てたのはスクラム。でも、次のW杯へ、伸ばさないといけないのもスクラムなんです」

今も忘れない悔しさがある。昨年10月13日、1次リーグ最終戦のスコットランド戦。試合開始20秒の突進で「ボキッ」と音が鳴った。8日前のサモア戦で違和感を覚えた、右あばら骨の下2本に激痛が走った。前半21分のスクラム。右脇腹に手を当て、1度は組む準備に入った。33歳だったフッカーの堀江に諭された。

「無理すんな。難しかったら、早く出た方がいい」

直後に交代の知らせを聞き、天を仰いだ。控えの選手にねぎらいを受け、6万7666人の拍手に包まれた。観客席は見ることができなかった。「今思えば交代して良かった。でも、あの時は申し訳なかった。すごく悲しくて、悔しかった」。涙が止まらなかった。

本当の地力が試される舞台だった。第2戦のアイルランド戦は8人一体のスクラムで相手を押し込み、雄たけびをあげた。準々決勝の南アフリカ戦。対面は「ビースト(野獣)」と呼ばれるプロップのムタワリラだった。相手の仕掛けで日本FW陣の姿勢が窮屈になると、その隙を一気に突かれた。「『こう来るだろうな』と頭で分かっていても、組んでみたら対応できなかった」。優勝国との差を胸に拠点の三重に戻った。

あれから半年。予期せぬコロナ禍は日常を奪った。人を相手にスクラムを組んだ最後は、2カ月以上も前。6月下旬からの代表戦開催も厳しい情勢で、今後の見通しは立っていない。それでも3年後には、W杯フランス大会がやってくる。具の目標はぶれない。

「やっぱり次のW杯はちゃんと3番(右プロップ)で、ずっと試合に出続けたい。『早く人とスクラムを組みたい!』と思うから、面白くない練習も頑張れる。この時間を無駄にしないで、レベルを上げたい」

最前列で戦う25歳は、スクラムと向き合い続ける覚悟だ。【松本航】

◆具智元(グ・ジウォン)1994年7月20日、ソウル生まれ。小6で競技を始め、中1の1年間はニュージーランド留学。大分・日本文理大付高、拓大を経て17年からホンダ。同年11月のトンガ戦で日本代表初出場。現在13キャップ。父の東春(ドンチュン)さんは元韓国代表プロップ、兄の智允(ジユン)はホンダCTB。呼び名はグーくん。趣味は昼寝で「家にいる時はずっと寝てしまう」。昨年12月に日本国籍を取得。183センチ、122キロ。

◆具智元の19年W杯VTR 開幕ロシア戦(9月20日)は後半14分から途中出場。続くアイルランド戦(9月28日)で初先発し、スクラムで流れを引き寄せた。第3戦サモア戦(10月5日)を経て、第4戦スコットランド戦(13日)で右肋骨(ろっこつ)にヒビが入った。それでも1週間後の準々決勝南アフリカ戦(20日)で4戦連続先発。相手の南アフリカは、11月2日の決勝でイングランドに32-12。3大会ぶり3度目の優勝で大会が閉幕した。

◆W杯後のラグビー界 20年1月12日にTLが開幕。全国6会場の合計入場者数は、昨季から3万1730人増の9万2347人と盛況だった。18日の第2節トヨタ自動車-パナソニック戦(豊田ス)はTL史上最多の3万7050人を記録。だが、新型コロナウイルスの影響で2月26日に第7~8節の開催延期を発表。3月9日に同月中のリーグ開催休止、同23日には残り全試合の中止とリーグ不成立が決まった。4月2日には5月に開催予定だった日本選手権中止も発表。国内で予定されている日本代表のウェールズ戦(6月27日)、イングランド戦(7月4、11日)について、日本協会の岩渕専務理事は「簡単にできる状況ではない」と見解を示している。