今季限りでの現役引退を表明していたバスケットボールBリーグ1部レバンガ北海道の折茂武彦(49)が、27年に及ぶ現役生活の幕を閉じた。

3日、新型コロナウイルスの影響でオンラインで行われた引退会見に臨んだ。93年にトヨタ自動車(現A東京)でキャリアをスタート。日本代表として2度の世界選手権(現W杯)に出場し、19年には日本出身選手初の1万得点を達成した。今後は11年から兼任する社長を継続しながら、後進の育成に努める。

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折茂の原点を知る恩師、中学以来の友人が当時を振り返った。埼玉栄時代に指導した金井清一氏(55=現前橋市議、写真)は能代工出身で、折茂が2年のときにコーチに就任した。「細かったけど、とにかくスタミナがあった。さらに高校ではしっかり走れる選手にと鍛えた。この年までプレーできたのも、やはり走れたからじゃないかな」。無尽蔵の体力こそが、レジェンドの土台だった。

現埼玉栄監督の伊藤裕一氏(49、写真)は中学時代からの友人。折茂が上尾上平中2年時、伊藤氏の大宮(現さいたま)宮原中と秋の新人戦で対戦した。「170センチぐらいで目立たなく、どこにいたかも分からなかった。確か70点差ぐらいでうちが勝った。中3の夏になったら、なんか上平中に体のでかい転校生が入ったのかと思った」。それが、半年で身長が一気に15センチほど伸びた折茂だった。

折茂自身「最初のターニングポイント」と言う埼玉栄時代は、長身を生かしフォワードやセンターと、ゴール近くで勝負する選手だった。カテゴリーが上になるにつれ徐々にレンジが外になり、日本を代表するシューターとなっていく。金井氏は「中でもしっかり仕事ができた。役割が変わっても対応できる柔軟性と素質を秘めていたのでしょう」と話す。

金井氏は「これからはぜひ、人づくりをしてくれることを願いたい」。伊藤氏は「僕らの世代の誇り。日本の顔だし、サッカーでいうカズ選手みたいな存在。日本のリーダーとなって、バスケットボール界を引っ張っていってほしい」と期待。第2の人生を、皆が注目している。【永野高輔】