高校ラグビーで全国制覇4度の伏見工は全日制が京都工学院となり、現在は定時制だけが残る。80年度に初の全国制覇を達成した時のメンバーで元監督の高崎利明(58)がこの春、伏見工の校長に着任。4年後には校名が消滅するため、最後の使命を託された。「京都一のワル」と呼ばれ、伏見工の草創期を支えた山本清悟(59)は、奈良朱雀高で監督を務める。来春に定年を迎えるが、再雇用で指導を続ける。ドラマ「スクール☆ウォーズ」のそれから-。2人の教師の「今」を追った。

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世界遺産の薬師寺からほど近いところに、奈良朱雀高はある。07年に奈良工業と商業が統合されて現校名となり、卒業生にはタレントの明石家さんま、人気グループTOKIOの城島茂らがいる。ボクシングの高見公明はロサンゼルス五輪出場後、教員として同校に赴任しボクシング部を創設。名城信男、拳四朗ら世界王者を育てた。部活動が盛んな高校でもある。

新型コロナウイルスが猛威を振るう前、2月のこと。体育教官室から出てきたラグビー部監督の山本は、走りながら「こんにちは」と言う生徒を呼び止めた。

「こら! あいさつは、立ち止まってするんや。しっかりせんかい!」

体育館の横にある椅子に座り、部員が来ていない土のグラウンドを眺める。

「社会に出た時に、大事やからね。(生徒は)うるさいオッサンやと思っているんちゃいますか」

今年の10月で60歳。来春に定年退職を迎える。校舎から響く生徒が騒ぐ声を聞きながら思いを明かした。

「僕がいなくなったら、ラグビー部はなくなってしまうからね。あの子らは遊びに走るか、夢や目標もなく、だらだらしてしまうだけや。学校に残って教えてやらんとね。僕が恩師から教わったことは、まだ伝えきれていないですから」

かつて「京都一のワル」と呼ばれた人だった。ケンカやマージャンに明け暮れた日々。救ってくたのは伏見工入学時、ラグビー部へ誘ってくれた泣き虫先生こと山口良治だった。ひとり親で育ち、弁当を持たずに遠征に行く。すると山口は大きなオニギリを分けてくれた。いつしか頭が上がらなくなった。年を重ねた今でも、悪かった頃の面影を残す男は、尊敬の念を込めて山口を「恩師」と呼ぶ。同じ教師の道へ進み、教えを現代の生徒へ伝えようとしている。定年後も再雇用でラグビー部に残る。それが恩返しだと考えている。

今年1月25日にあった近畿大会予選。奈良朱雀高は0-115で天理高に大敗した。45年前の春、山口が監督に就任したばかりの伏見工も0-112で花園高に大敗した。偶然にも、同じような屈辱を味わった。ドラマ「スクール☆ウォーズ」では、滝沢賢治監督が「悔しくないのか!」と部員1人、1人に拳を振り上げる。時代の違いもあるからだろうか。山本がとった行動はそれとは違った。

「『チームのために体を張れ』と伝えたんです。相手は名門校。スピード、パワーも歴然とした中で、ほとんどの子が仲間のために体を張っていたんですわ。『できたやないか』と。『お前ら伸びしろがあんねんで』と。後半は全く足が動かんかったけど、それは練習で何とかなる。『秋には天理、御所実という(奈良の)2強と同じ舞台に立とうや』と言うとるんです」

山口に導かれて始まった長いラグビー人生。高校日本代表に選ばれながら、伏見工が初めて全国の扉を開いたのは卒業してから。土台となり、2つ下の平尾、高崎らが日本一に立った。日体大を出て教師になり、指導者としても花園とは縁がないまま年を重ねた。

「花園は、はるか遠い場所にある。でも、そういう夢を生徒に持たせてやらなアカンということは、恩師(山口)に言われていることなんです」

なぜ定年を迎えても学校という場所に残るのか。山口との出会いがなければ、高校すら卒業していなかったかも知れないのに。

「まだ、やることがあるんですわ」-。

そう絞り出すと遠くを見つめた。恩人を思い出しているようでもあった。

「3年間やり通すこと。一生懸命ひたむきにやる。社会に出たら闘争心ばかりではアカンけど、それがあれば何とかなることもある。1つのことをやり通すことで自信をつけて欲しい」

脈々と流れる山口の教え。伝えることが、使命だと信じている。(敬称略、おわり)【益子浩一】