引退を表明していた東芝のロック大野均(42)が22日、オンラインで引退会見に臨んだ。ラグビー日本代表としてW杯に3大会出場し、歴代最多98キャップを誇る。

決断の理由に、約1年前から悩まされた膝の痛みを挙げ「長い間、別メニューで調整してきましたが、回復が見られなかった。昨年W杯の日本代表の躍進や、東芝内でも若い選手の台頭が頼もしく感じ『選手としてやり残したことはない』と感じて引退を決意しました」と説明。今後については「東芝に恩返しができるような活動をしながら、自分にしかできない道を見つけて、日本ラグビー界に貢献したい」と誓いを立てた。

トップ選手として異例の経歴で、後輩の希望になった。福島・清陵情報高では野球部に所属。変化球打ちが苦手で左翼の補欠だった。競技と出合ったのは、関東大学リーグの名門・日大とは別で活動する、日大工学部(東北地区リーグ)だった。

「大学から始めて、パスもキックも下手な中で、どうやって貢献するか。パスやキックが上手なら、そこも選択肢になって、何をプレーするか迷って、ここまで長く現役を続けることができなかったかもしれない。日大工学部、東芝、日本代表、サンウルブズ。『このチームで勝ちたい』と思わせてくれる人たちが、そろった集団でした」

1人のラガーマンとしてこだわり続けたのは「激しさっていう部分」。W杯など国際試合で他国の選手と接して、常々感じたことがある。

「(ニュージーランド代表の)オールブラックス、欧州の強豪…。人には優しく接して、プレーは激しい。それがラグビーの良さ。そのラグビーの魅力を広げていきたいと思っています」

会見は約1時間に及んだ。丁寧な口調で思いを語り、第2の人生へ再スタートを切った。【松本航】

◆大野均(おおの・ひとし)1978年(昭53)5月6日、福島・郡山市生まれ。清陵情報高、日大工学部を経て01年から東芝。日本代表は04年5月の韓国戦で初キャップ。16年にスーパーラグビーの日本チーム「サンウルブズ」でもプレーした。趣味は酒を飲むこと。愛称は均(キン)ちゃん。192センチ、105キロ。