ケガで競技をあきらめるしかなかった親友を、オリンピック(五輪)の舞台へ連れて行った。04年8月17日。バドミントン女子ダブルスで道産子初めての同種目五輪出場。「五輪は自分だけの夢じゃなくなっていました」。コートの横には、マネジャー増茂孝枝の姿があった。初戦(2回戦)でタイのペアに敗れたが、28歳の夏は特別なものになった。

97、99年に全日本総合を制し、2度日本一になった。ペアを組んでいたのは、全校生徒20人弱の小学校時代から一緒だった増茂。だが最有力とされていたシドニー五輪出場を逃す。直前の増茂の故障が影響した。

引退も考えた中山だが、リハビリを続ける増茂の姿に心を動かされた。「もう1度、五輪を目指してみようと思わせてくれた」。増茂の復帰はかなわなかったが、吉冨(NEC九州)との新ペアで代表切符をつかんだ。

現地同行マネジャーとなった幼なじみとアテネの土を踏んだ。「孝枝ちゃんとダブルスをしたい。世界で3位くらいに入りたい」。小学6年の卒業文集に記した夢は、少し形は違ったが現実になった。